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   <title>中国の世界遺産</title>
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   <subtitle>中国の世界遺産で遊ぶ。</subtitle>
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   <title>開平楼閣と村落</title>
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   <published>2008-06-29T01:51:31Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:34Z</updated>
   
   <summary>開平楼閣と村落の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="198" label="高層楼閣" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>開平楼閣と村落</strong>（かいへいろうかく　と　そんらく）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2007年

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開平楼閣

■概要
開平楼閣と村落は、広東省・開平に位置するディアオロウという高層の楼閣で著名な村落群で、現存の高層楼閣は1833棟にのぼる。これらの楼閣は華僑洋館とも呼ばれる西洋風の高層建築で、中国の伝統と西洋の建築意匠が見事な融合を見せている。

2007年6月28日、開平市の赤坎鎮・自力村・方氏灯楼・蜆岡鎮・百合鎮の村落群は、ニュージーランドのクライストチャーチで開催された世界遺産委員会会議で世界文化遺産リストに登録された。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Kaiping_Diaolou_and_Villages.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Kaiping_Diaolou_and_Villages.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■歴史
・初期
明代に水害と匪賊による被害を防ぐ目的で、開平の住民によって望楼の建築が始められた。しかし、アヘン戦争以前、その棟数は大規模なものではなかった。

・最盛期
19世紀中葉、米国とカナダの西部大開発に伴い、ゴールドラッシュと大陸横断鉄道の建造に大量の労働力を必要とするようになった。同時期、開平地区では「土客械闘」（客家と本地人の争い）が盛んに発生して、生活を脅かされた大量の農民がアメリカ大陸への移民となって流出した。彼らは主に北米に移住して現地の労働力となった。1880年代、米国とカナダは排華政策を実行しはじめ、中国人労働者は帰郷して現地で土地と家を買い、家庭を持つことを強要された。19世紀末から1920年代終わりに、米国、カナダ両国の急速な経済の発展によって、中国人労働者の収入と開平華僑による為替送金額が増加し、開平に多数の望楼が建造される経済的条件が整った。

1900年〜1931年、開平には1648基の望楼が建造され、総計の89.9%を占めている。特に1921年〜1931年には940基が建造され、総計の51.2%を占める。他、開平地方には馬賊が出没し、加えて中華民国成立に伴う戦乱が頻繁に発生したため、見張り台の建設が急務であった。1912年から1926年まで、馬賊、盗賊の略奪、学校への脅迫は8回に達し、教師、学生ら百余名がさらわれた。他に水害防止などの目的をもって望楼が華僑に必要とされ、大量に建造されて3000数基に達した。

・停滞期
1940年代、米国とカナダは中国に対して移住制限を解除したため、在外華僑の家族が大量に移住しててしまい、望楼は次第に数を減らして最終的には建設されなくなった。資料が示すところでは、1943年〜1949年間に、開平の望楼は7基しか建てられず全体の0.3%に過ぎない。


■特色
その特色は中国と西洋を折衷した外壁を持っていることで、古代ギリシア、古代ローマとイスラムなどの建築様式が結合したもので多様性に富んでいる。また、集落防衛のための銃眼がある。

<img alt="230px-Rui_Shi_Lou.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/230px-Rui_Shi_Lou.jpg" width="230" height="307" />
「開平第一楼」といわれる瑞石楼
（鉄筋コンクリートの高層建築に、古代ローマ、ビザンチン、バロック
など多種の西洋建築様式が結び付けられている）


■分類
機能によって、集合住宅、居楼、刻楼に分類すると、居楼が最も多い。現存の各類の望楼は次の通り。
・集合住宅：473棟
・居楼：1149棟
・刻楼：221棟

建築材料によって、石楼、泥楼、磚楼（煉瓦造り）、コンクリート楼に分けると、コンクリート楼が最も多い。現存の各類の望楼は次の通り。
・石楼：10棟
・泥楼：100棟
・磚楼：249棟
・コンクリート楼：1474棟


■目的
・水害の防止
・盗賊・馬賊の対策
刻楼を例にすると、多くが村の出入り口あるいは村外の丘陵に建てられ、遠望を可能とし、照光器と警報器を備えて早期の凶賊発見に寄与する。1922年12月に赤坎の学校を襲った馬賊は、鷹村の望楼の照光器に照射され、郡郷各所からの応援で校長と学生17人を救出した。
・住居
居楼を例にすると、居住と防衛の両方の機能を兼ね備え、開いた空間を持ち生活施設が整備され、高楼は頑丈で美観も備えているため住居に適する。


■外部リンク
・<a href="http://www.kaipingdiaolou.com/">開平&#30857;樓網站</a>（中国語）
・<a href="http://www.kaiping.gov.cn/test/dlshenbao/diaoloucunluo.html">開平政府&#20851;于&#24320;平&#30857;楼与村落的介&#32461;</a>（中国語）


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   <title>中国南方カルスト</title>
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   <published>2008-06-28T01:07:29Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:35Z</updated>
   
   <summary>中国南方カルストの世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="147" label="雲南省" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="193" label="貴州省" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="194" label="重慶" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■中国南方カルスト（ちゅうごくなんぽう　カルスト）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 2007年

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中国南方カルスト

■概要
中国南方カルストとは、雲南省・石林、貴州省・&#33620;波、重慶・武隆の共同で組成された中国の風景区である。2007年6月27日にユネスコ世界自然遺産に登録された。

■登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ登録がなされた。

・ ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。

・地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。

・陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。

・生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

■地図

<img alt="China-Yunnan.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/China-Yunnan.png" width="268" height="218" />
雲南省


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      <![CDATA[■中国南方カルストの詳細

ただいま、編修中。

<img alt="500px-Yunnanshilin2.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/500px-Yunnanshilin2.jpg" width="500" height="176" />
石林風光


■外部リンク
・<a href="http://www.shilin.gov.cn/">石林彝族自治県人民政府</a>（中国語）


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   <title>殷墟</title>
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   <published>2008-06-27T03:43:02Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:36Z</updated>
   
   <summary>殷墟の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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   <category term="190" label="甲骨" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■殷墟（いんきょ）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2006年

<img alt="200px-Yinxu.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Yinxu.jpg" width="200" height="133" />
河南省安陽県
殷王朝首都（BC1350〜BC1046）の遺構

■概要
殷墟とは古代中国、殷王朝（紀元前1600年頃〜紀元前1046年）後期の遺構。現在は近代的なビルが林立する河南省最北部の安陽に位置している。

殷は中国の王朝である。文献には夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている最古の王朝である。最終的に紀元前11世紀に周に滅ぼされた。商（しょう）とも言われる。また、殷が夷であったという説もある。王家の姓は「子」であったといわれているが、殷では王族を子鄭、子商などと称し、これは「子」字に領地と思しき地名を付しているようで、おそらくこれを姓と誤解したのではと考えられている。姓は「好」との説もある。

<img alt="250px-China_1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-China_1.jpg" width="250" height="319" />
殷の領域

殷は中国では「商」王朝として知られ、殷墟は後期商王朝（BC14世紀頃〜BC11世紀頃）の宗教的、文化的な中心地であった。盤庚による遷都から、帝辛（紂王）の時代の滅亡に至るまでの殷の首都であったと伝えられる。盗掘された甲骨片が発見されたことをきっかけに1928年より発掘が始まり、殷の首都であることが確認されるに至った。殷墟からは深さ20メートルを超えるものを含む、多数の巨大墳墓が見つかっている。1961年に、中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。2006年7月には「四川省のジャイアントパンダ保護区」とともに世界遺産に登録された。

■地図

<img alt="270px-LocMap-of-WH-Winxu.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap-of-WH-Winxu.png" width="270" height="187" />


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      <![CDATA[■発掘に至るまで
1899年、金石学者であった王懿栄（1845年〜1900年）は、北京の漢方薬店で買ってきた龍骨（漢方薬の一種である骨）の上に、金文（古代の金属器や石刻に刻まれた漢字）に似た古い文字のようなものが刻んであるのを発見し、この文字を解読しようと龍骨を大量に買い集めだしたとされる。これはよく知られた逸話だが事実であるかどうかは不明である。

翌1900年、義和団事変の際の八カ国軍の北京侵入で王懿栄は自殺し、彼の集めた甲骨は小説家である劉鶚の手に渡り、友人である金石学者羅振玉は、甲骨の産地が河南省北部の小屯村だということを調べた。この村の地中から出る甲骨は、農民によって捨てられたり漢方薬とするために売られたりしていた。羅振玉は甲骨文字の解読を進め、この村は架空の存在と考えられていた殷王朝の遺跡ではないかと考えた。その後、王国維は研究により、ここが盤庚が遷都した後の殷の都であるという説を唱えた。

1928年、甲骨の発掘がこの地で始まった。中央研究院は考古学者による発掘隊を組織し、日中戦争で中断する1937年まで15回にわたる発掘作業を行い、甲骨だけでなく青銅器などの金属器や墳墓などの遺跡も発見された。1950年に発掘は再開され、1986年までの間に15万件の甲骨が見つかっている。


■殷墟の規模と発掘物
現在調査が進んだ殷墟の範囲は東西6km、南北4kmの地域で、&#27961;水という川をはさんでいる。この地域は殷王朝時代の甲骨や青銅器が最も密集して発見された場所である。さらに多くの建物跡と墳墓も発見されており、&#27961;水の南岸にある小屯村の北東付近が宮殿などのある都の中心だったとみられ、その周囲には工房跡なども見つかっている。&#27961;水北岸の武官村の一帯は歴代の王の陵墓が並んでいた場所であり、13の大規模な墳墓が発見されている。この中の何も入っていない墳墓は、おそらく殷の最後の王（紂王）が自分のために造らせたものの、国家滅亡のため入ることができなかった墳墓と推測されている。

特筆すべきは22代目の帝武丁妃である婦好の墳墓であり、1976年にほぼ未発掘の状態で発見された。墓からは6匹の犬のほか、少なくとも16人の殉死者の骨が見つかっており、他に副葬品として、440以上の青銅器、約600もの玉石器、石彫類、骨角器、約7000枚の当時の貝貨が出土している。

さらに、殷墟では多数の甲骨（亀の腹甲や牛や鹿の肩胛骨など）、及び、それらに刻まれた文字（甲骨文）が出土しており、漢字のルーツであると思われている。 殷墟から発見された甲骨には5,000字以上の文字が認められ、そのうち1,700字ほどが解読されている。またこの文字の研究により、殷王朝の存在が同時代資料を通じて確認されたほか、この文字から漢字が発展したことが確認された。


■外部リンク
・<a href="http://www.ha.xinhuanet.com/fuwu/kaogu/ysfg.htm">殷墟出土文物</a>


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   <title>四川省のジャイアントパンダ保護区</title>
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   <published>2008-06-26T20:47:43Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:37Z</updated>
   
   <summary>四川省・ジャイアントパンダ保護区の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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■<strong>四川省のジャイアントパンダ保護区</strong>（しせんしょう・・・ほごく）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 2006年

<img alt="200px-Chengdu-pandas-d10.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Chengdu-pandas-d10.jpg" width="200" height="150" />
四川省のジャイアントパンダ保護区

■概要
四川省のジャイアントパンダ保護区は、中華人民共和国の世界遺産。絶滅危惧種であるジャイアントパンダの30%以上がこの地に生息しており、最も繁殖が盛んである。

面積は9245平方キロに及び、&#37019;&#23821;山脈と夾金山脈を挟んだ7つの自然保護区および9つの自然公園からなっている。ジャイアントパンダに加えて、レッサーパンダ・ユキヒョウ・ウンピョウのような、他の絶滅危惧種の重要な保護地域でもある。 保護区の森林には植物学的に非常に豊かな生態系が保持されており、5,000〜6,000種の植物相の故地とされている。また、第三紀の熱帯雨林に相似していることが注目されている。

2006年7月12日に世界自然遺産に登録された。

■地図

<img alt="270px-LocMap-of-WH-Sichuan_Giant_Panda_Sanctuaries.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap-of-WH-Sichuan_Giant_Panda_Sanctuaries.png" width="270" height="230" />


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      <![CDATA[■詳細
四川省のジャイアントパンダ保護区は、7箇所の自然保護区と9箇所の風景名称区から構成され、成都市が所轄する都江堰市・崇州市・&#37019;&#23821;市・大邑県、雅安市が所轄する芦山県・天全県・宝興県、アバ・チベット族チャン族自治州が所轄する&#27766;川県・小金県・理県、カンゼ・チベット族自治州が所轄する康定県といった12の県及び県級市に跨る。

自然保護区（7箇所）
・臥竜自然保護区：&#27766;川県、1963年成立、ジャイアントパンダ及び森林生態系を主に保護。
・蜂桶寨自然保護区：宝興県、1975年成立、ジャイアントパンダ及び森林生態系を主に保護。
・四姑娘山自然保護区：小金県、1996年成立、野生動物及び森林生態系を主に保護。
・喇叭河自然保護区：天全県、1963年成立、ジャイアントパンダ及び、ヌーなどの希少動物を主に保護。
・黒水河自然保護区：芦山県及び大邑県に跨る、1993年成立、ジャイアントパンダ及び森林生態系を主に保護。
・金湯〜孔玉自然保護区：康定県、1995年成立、希少動物及び生態環境を主に保護。
・草坡自然保護区：&#27766;川県、2000年成立、ジャイアントパンダと生態環境を主に保護。

風景名勝区（9箇所）
・青城山〜都江堰風景名勝区：都江堰市、1982年成立。
・天台山風景名勝区：&#37019;&#23821;市、1989年成立。
・四姑娘山風景名勝区：小金県、1994年成立。
・西嶺雪山風景名勝区：大邑県、1994年成立。
・鶏冠山〜九竜溝風景名勝区：崇州市、1986年成立。
・夾金山風景名勝区：宝興県、1995年成立。
・米亜羅風景名勝区：理県、1995年成立。
・霊鷲山〜大雪峰風景名勝区：芦山県、1999年成立。
・二郎山風景名勝区：天全県、2000年成立。


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   <title>マカオ歴史地区</title>
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   <published>2008-06-24T14:59:33Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:37Z</updated>
   
   <summary>マカオ歴史地区の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
   </author>
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   <category term="183" label="教会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="184" label="聖" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>マカオ歴史地区</strong>（マカオ　れきしちく）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2005年

<img alt="300px-Ruinas_de_Sao_Paulo.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Ruinas_de_Sao_Paulo.jpg" width="300" height="202" />
聖ポール天主堂跡

■概要
マカオ歴史地区とは、中華人民共和国の特別行政区であるマカオにある、20以上の建築や広場などの古跡を含む地区である。そこでは、かつてのポルトガルの植民地であったマカオにおける東西文化のユニークな同化と共存を窺い知ることができる。2005年、中国で31番目のユネスコ世界遺産に登録された。

■地図

<img alt="250px-Macau_Location.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Macau_Location.png" width="250" height="126" />


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      <![CDATA[■<strong>登録古跡一覧−建築</strong>

<img alt="200px-Macau_Largo_da_S%25C3%25A9_1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Macau_Largo_da_S%25C3%25A9_1.jpg" width="200" height="150" />
聖母聖誕堂

<img alt="200px-Guia_Lighthouse_1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Guia_Lighthouse_1.jpg" width="200" height="150" />
ギア灯台

<img alt="200px-Under_the_section_of_the_old_city_wall%252C_the_side_of_Na_Tcha_Temple_and_the_back_of_Ru%25C3%25ADnas_de_S_Paulo.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Under_the_section_of_the_old_city_wall%252C_the_side_of_Na_Tcha_Temple_and_the_back_of_Ru%25C3%25ADnas_de_S_Paulo.jpg" width="200" height="150" />
ナーチャ廟（城壁の下から）

・媽閣廟
・港務局大楼（港務局大樓）
・鄭家大屋（旧文華大屋）−思想家鄭観応の故居
・聖ローレンス教会（聖老楞佐教堂・風順堂）
・聖ヨゼフ修道院聖堂（聖若瑟修院大樓及聖堂）
・ドン・ペドロ5世劇場（崗頂劇院・伯多祿五世劇院）
・ロバート・ホートン図書館（何東圖書館）
・聖オーガスティン教会（聖奧斯定教堂）
・民政総署（民政總署大樓）
・三街会館（三街會館・關帝廟）
・仁慈堂（仁慈堂大樓）
・大堂（大堂・聖母聖誕堂）
・盧家大屋（金玉堂）
・聖ドミニコ教会（&#29611;瑰堂・板樟堂）
・聖ポール天主堂跡（大三巴牌坊）
・ナーチャ廟（&#21738;&#21522;廟）
・旧城壁（舊城牆遺址）
・大砲台（大炮台）
・聖アントニオ教会（聖安多尼教堂・花王堂）
・カーサ庭園（東方基金會會址）
・基督教墳墓（舊基督教墳場）
・ギア要塞（東望洋炮台）


■<strong>登録古跡一覧−広場</strong>

<img alt="200px-Largo_do_Senado.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Largo_do_Senado.jpg" width="200" height="133" />
セナド広場

・バラ広場（媽閣廟前地）
・リラオ広場（阿婆井前地）
・聖オーガスティン広場（聖奧斯定前地崗頂前地）
・セナド広場（議事亭前地）
・聖ドミンゴ広場（板樟堂前地）
・大堂広場（大堂前地・大廟頂）
・イエズス会紀念広場（耶&#31308;會紀念廣場）
・カモンエス公園（白鴿&#24034;前地・賈梅士前地）


■関連項目
・<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2">マカオの歴史</a>


■外部リンク
・<a href="http://www.macauheritage.net/mherit/indexE.asp">MACAO WORLD HERITAGE−公式サイト</a>（中国語・ポーランド語・英語）
・<a href="http://www.macautourism.jp/">マカオ散策ガイド−マカオ観光局</a>（日本語）


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   <title>高句麗前期の都城と古墳</title>
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   <published>2008-06-22T15:00:54Z</published>
   <updated>2008-07-09T15:01:39Z</updated>
   
   <summary>高句麗前期の都城と古墳の世界遺産</summary>
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   </author>
         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="180" label="高句麗前期" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="182" label="山城" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>高句麗前期の都城と古墳</strong>（こうくりぜんき）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2004年

■概要
高句麗前期の都城と古墳は、中国・吉林省・集安市を中心に分布する高句麗前期の遺跡である。2004年7月、ユネスコ世界遺産委員会蘇州会議で、朝鮮民主主義人民共和国の平壌・南浦などに所在する高句麗後期の古墳群とともに世界遺産登録された。

高句麗は紀元前37年に五女山城（卒本城）を都として建国し、西暦3年、丸都山城に遷都。その後、平城の国内城に移り427年平壌に再び遷都した。668年に、唐・新羅連合軍によって滅ぼされている。

■登録までの経緯
北朝鮮は、2000年頃から画家の平山郁夫の支援で、遺跡の世界遺産登録を働きかけていた。当初、2003年には登録される見込みであったが、中国が北朝鮮の単独登録に反対。吉林省にある高句麗遺跡の登録申請を行った。その経緯で、両遺跡が2004年の同時登録という形になった。北朝鮮と中国の間に、高句麗地区の領土問題が存在することが改めて認知された。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_-_Goguryo_China.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_-_Goguryo_China.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■都城遺跡
・五女山城　遼寧省・桓仁県に所在する高句麗初期の山城
・丸都山城　吉林省・集安市に所在する高句麗前期の山城
・国内城　　 吉林省・集安市に所在する高句麗前期の平城

■古墳
・王墓　　　長寿王墓とされる将軍塚を始めとする14基
・貴族墓　 26基

■関連項目
・<a href="http://www.tokutoku21.net/archives/cat5/post_58/">高句麗古墳群</a>


■外部リンク
・<a href="http://www.gmw.cn/03pindao/guonei/2004-07/01/content_51443.htm">集安の将軍塚と古墓群の写真</a>（中国語）
・<a href="http://www.searchnavi.com/~hp/koguryo/">高句麗研究会</a>（日本語）


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   <title>三江併流</title>
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   <published>2008-06-21T16:52:54Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:38Z</updated>
   
   <summary>三江併流の世界遺産</summary>
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="178" label="三江" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="176" label="梅里雪山" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>三江併流</strong>（さんこうへいりゅう）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 2003年

<img alt="275px-R0010879.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-R0010879.jpg" width="275" height="206" />
梅里雪山

■概要
三江併流は、中国のチベット高原に源を有する三つの川、金沙江（長江上流部）・瀾滄江（メコン川上流部）・怒江（サルウィン川上流部）が雲南省北部のデチェン蔵族自治州、及び、怒江リス族自治州を平行に流れている1,698,400haに及ぶ地域で、その地域は14の保護された地域からなる。動植物層が豊かなことから、ユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されている。

<img alt="300px-Tibet_landscape.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Tibet_landscape.jpg" width="300" height="201" />
チベット高原

三江併流地域は、インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突によって生まれた巨大な褶曲地帯である。地域内の気候は場所によって多様であり、これは結果的に地域内の動植物層の多様化を促進している。

この地域では、世界の動物の内25%（中国国内においては50%）の個体が存在していると言われる。政府によってリストアップされた種は791種、内198種は中国固有種、80種は政府のレッドリストに登録されている。

植物も固有種を含め約6000種が確認されており、内2700種は中国固有種である。なかでも絶滅の危機に瀕したものもあり、33種が国家レベルで保護されている。

民族的にも多数の少数民族が居住している。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Three_Rivers.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Three_Rivers.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■登録された地域

<img alt="120px-R0010820.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-R0010820.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="120px-R0010821.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-R0010821.jpg" width="120" height="90" />
主峰・&#21345;瓦格博　　　　　　神女峰

・高黎貢山地域
・白馬雪山・梅里雪山地域
・哈巴雪山地域
・千湖山地域
・紅山雪山
・雲嶺地域
・老君山地域
・老窩山地域


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   <title>雲崗石窟</title>
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   <published>2008-06-21T07:37:38Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:39Z</updated>
   
   <summary>雲崗石窟の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="104" label="石窟" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="174" label="曇曜五窟" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>雲崗（雲岡）石窟</strong>（うんこうせっくつ）
登録区分　文化遺産
登録年　　 2001年

<img alt="250px-Yungangshiku.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Yungangshiku.jpg" width="250" height="188" />
雲崗石窟

■概要
雲崗（雲岡）石窟は、中国・山西省・大同市の西方20キロにある東西1キロにわたる約40窟の石窟寺院。雲崗石窟としてユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されている。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Yungang_Grottoes.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Yungang_Grottoes.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■詳細
元は霊巌寺といい、現在では石仏寺などと呼ばれる。北魏の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して460年（和平元年）頃に、桑乾河の支流の武周川の断崖に開いた、所謂「曇曜五窟」（第16窟・第17窟・第18窟・第19窟・第20窟）に始まる。三武一宗の廃仏の第一回、太武帝の廃仏の後を受けた仏教復興事業のシンボル的存在が、この5窟の巨大な石仏であった。

<img alt="200px-Datong_14_grotta.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Datong_14_grotta.jpg" width="200" height="302" />
像

その後も、第1・2窟、第3窟、第5・6窟、第7・8窟、第9・10窟、第11・12・13窟と大規模な石窟の造営が続けられ、雲崗期（460年〜494年）と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。

様式上は、最初期の「曇曜五窟」には、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃い。その後の石窟ではギリシア様式の唐草文様に代表される西方起源の意匠も凝らされており、当時の建築様式を模した装飾も豊富に見られる。しかし、洛陽へ遷都する494年以降の末期になると、初期の雄大な質感は姿を消し華奢で力強さの感じられない造形が増加する傾向が顕著となる。そして、この傾向の延長線上に続く、龍門期が待ち受けている。

また、その影響関係で言えば、雲崗の様式は涼州（甘粛省）の石窟にその淵源を持つとも考えられるが、雲崗の影響は龍門・天龍山・南北の響堂山などの広範囲な石窟寺院に及んでいる。

日本人建築学者、伊東忠太が発見。


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   <title>明・清王朝の皇帝墓群</title>
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   <published>2008-06-19T02:31:11Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:39Z</updated>
   
   <summary>皇帝墓群の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
   </author>
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   <category term="156" label="皇帝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="172" label="陵墓" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>明・清王朝の皇帝墓群</strong>（みん・しんおうちょう　の　こうていぼぐん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2000年
・拡張年　　 2003年・2004年

<img alt="250px-Tumbas_ming1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Tumbas_ming1.jpg" width="250" height="167" />
長陵の&#35052;恩門（明十三陵）

■概要
明・清王朝の皇帝墓群は中国の古代王朝である明と清、及び、清の前身、後金の25人の皇帝の陵墓を含む、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された物件の総称。2000年に最初の3件が登録されたのち、2003年と2004年に数件ずつの追加登録がなされている。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Imperial_Tombs2.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Imperial_Tombs2.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■登録された陵墓一覧
・湖北省
明顕陵：明の嘉靖帝の父の陵墓（2000年登録）

・河北省
清東陵：清の5人の皇帝の陵墓群（2000年登録）
清西陵：清の4人の皇帝の陵墓群（2000年登録）

・北京市
明の十三陵：明の13人の皇帝の陵墓群（2003年登録）

・江蘇省
明孝陵：明の洪武帝の陵墓（2003年登録）
常遇春墓・仇成墓・呉良墓・呉禎墓・徐達墓・李文忠墓：孝陵周辺に葬られた功臣の墓群（2003年登録）

・遼寧省
永陵：後金のヌルハチの先祖4代の陵墓（2004年登録）
東陵（福陵）：後金のヌルハチ皇帝の陵墓（2004年登録）
北陵（昭陵）：後金のホンタイジ皇帝の陵墓（2004年登録）


■外部リンク
・<a href="http://www.qingdongling.com/html/index.html">清東陵</a>（中国語）
・<a href="http://www.qingxiling.com/">清西陵</a>（中国語）
・<a href="http://www.arachina.com/attrations/beijing/mingtombs/">明の十三陵</a>（日本語）


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   <title>龍門石窟</title>
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   <published>2008-06-18T02:43:38Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:41Z</updated>
   
   <summary>龍門石窟の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="104" label="石窟" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="171" label="龍門" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tokutoku21.net/archives/cat3/">
      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>龍門洞窟</strong>（りゅうもんどうくつ）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2000年

<img alt="280px-Longmen-grottoes-longmen-mountain-from-a-distance.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/280px-Longmen-grottoes-longmen-mountain-from-a-distance.jpg" width="280" height="141" />
龍門石窟

■概要
龍門洞窟は、中国・河南省・洛陽市の南方13キロ、伊河の両岸にある洞窟寺院。「龍門石窟」としてユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されている。

北魏の孝文帝が、山西省の大同から洛陽に遷都した494年（太和18年）に始まる。仏教彫刻史上、雲崗期の後を受けた龍門期（494年〜520年）と呼ばれる時期の始まりである。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Longmen_Grottoes.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Longmen_Grottoes.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>龍門石窟の特徴</strong>
龍門石窟の特徴は、その硬さ、すなわち雲崗の粗い砂岩質と比較して緻密な橄欖岩質であることである。そのため、北魏期においては、雲崗のような巨大な石窟を開削することが技術的にできなかった。『魏書』釈老志にも、500年（景明2年）に宣武帝が孝文帝のために造営した石窟は、規模が大きすぎて日の目を見ず、計画縮小を余儀なくされた顛末を記している。

様式上の特徴は、面長でなで肩、首が長い造形であり、全体的に華奢な印象を与える点にある。また、中国固有の造形も目立つようになり西方風の意匠は希薄となる。裳掛座が発達して装飾も繊細で絵画的な表現がされるようになる。

<img alt="300px-Longmen-lu-she-na-1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Longmen-lu-she-na-1.jpg" width="300" height="225" />
龍門石窟の盧舎那仏

最初期は、5世紀末の「古陽洞」窟内に見られる私的な仏龕の造営に始まる。先述の宣武帝の計画を受けて開削された「賓陽洞」3窟のうち、実際に北魏に完成したのは賓陽中洞のみであり、賓陽南洞と北洞の完成は唐の初期であった。その他、北魏時期の代表的な石窟としては、「蓮華洞」が見られる。また、北魏滅亡後も石窟の造営は細々とながらも継続され、「薬方洞」は北斉から隋にかけての時期に造営された石窟である。

唐代には、魏王泰が賓陽3洞を修復し、&#35098;遂良に命じて書道史上名高い「伊闕仏龕碑」を書かせ、641年（貞観15年）に建碑した。初唐の代表は、656年〜669年（顕慶年間〜総章年間）に完成した「敬善寺洞」である。その後、「恵簡洞」や「万仏洞」が完成し、この高宗時代に龍門石窟は最盛期を迎えることとなる。

その絶頂期の石窟が、675年（上元2年）に完成した「奉先寺洞」である。これは、高宗の発願になるもので、皇后の武氏、のちの武則天も浄財を寄進している。その本尊、盧舎那仏の顔は、当時既に実権を掌握していた武則天の容貌を写し取ったものと言う伝説があるが、寄進と時期的に合わず今では否定されている。また、武則天は弥勒仏の化身と言われ尊像としても合わない。龍門最大の石窟である。

武則天の時代には、西山の南方、「浄土洞」の付近まで造営が及んだので、武則天末より玄宗にかけての時期には、東山にも石窟が開削されるようになった。「看経寺洞」がその代表である。

なお彫られた仏像のそばには、造像の動機や供養文・刻者の名前や刻した年月などが造像記として彫りつけられているが、北魏代に彫られたもののうち、特に優れた20点が「龍門二十品」という六朝楷書の書蹟として知られている。


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   <title> 安徽省南部の古代集落群 </title>
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   <published>2008-06-17T03:26:24Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:42Z</updated>
   
   <summary>安徽省南部の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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■安徽省南部の古代集落群（あんきしょうなんぶ）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2000年

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西逓村の牌坊

■イ県の概要
&#40671;県（いけん）は、中国・安徽省・黄山市管轄の県。面積847平方キロメートル・人口10万である。&#40671;県は黄山市で最も小さな県であり、最古の県でもある。郵便番号は245500。県人民政府は碧陽鎮にある。古称は黝・広徳国・朔鹵。

&#40671;県は紀元前221年に建てられた。

&#40671;県の可耕地は40.3平方キロメートル・山地は704平方キロメートルであり、76.3%が森林に覆われている。年平均気温は15.8℃・降水量1,686ミリメートル・無霜期は212〜213日。茶、桑など衣料作物の栽培が盛ん。特産はシイタケ・木耳・シナガヤの実などである。

16世紀には商業が盛んなことで知られ、4千棟以上の精巧な建築が行われ、その様式は風格明朗な「皖南民居」である。皖南（かんなん）は安徽省南部。世界文化遺産に指定された西遞村・宏村も&#40671;県内にある。

映画『臥虎蔵龍』・日本における題『グリーン・デスティニー』は宏村で撮影された。このほか、『菊豆』『復活的罪悪』『南京的基督』『大転折』『徽商』『風月』などにも&#40671;県で撮影されたシーンがある。

■地図

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安徽省


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      <![CDATA[■歴史
・名称
&#40671;県の古称は黝（「&#40671;」の異体字）であり、紀元前221年（秦朝26年）に作られた。紀元前19年6月、前漢の成帝の時代、黝県は広徳国と改称された。鴻嘉5年（紀元前12年ごろ）、広徳国が廃されて再び黝県となる。王莽は西暦10年（始建国2年）、黝県を朔鹵と改称し丹陽郡の一部とした。西暦25年（建武元年）、再び黝県に戻された。

・行政区分
1950年に黄山市太平県（今は無い）、石台県に属していた美溪・柯村・宏潭が&#40671;県に編入された。1958年1月2日、祁門県に合併され、&#40671;県県委（中国共産党県支部）と県政府機関も転出した。1959年4月5日、国務院の批准を受け再び&#40671;県が設置された。


■自然地理
&#40671;県の北部には枕黄山、南部には白岳があり、四方が山に囲われた盆地である。山は黄山につながっていて外界と隔てられているため古くから「小桃源」と呼ばれていた。

&#40671;県には現在にも古民居3,600棟が保護されており、皖南の中心地である。西逓・宏村・南屏・関麓・屏山に残る古民居は、厳謹・工芸精湛なものであり、西逓・宏村は世界遺産に指定されている。


■行政区画
3鎮と9郷を管轄とする。
鎮：碧陽鎮・際聯鎮・漁亭鎮
郷：竜江郷・碧山郷・西武郷・柯村郷・美渓郷・宏潭郷・東源郷・泗渓郷・洪星郷

・西遞村
西遞は11世紀、宋朝の元祐年間にある河川の西岸にできた。そのため元の名を「西川」といった。物資輸送の駅として使用されたため西遞（西逓・「逓」は宿場）と呼ばれるようになり、また「桃花源裡人家」とも呼ばれた。

この村を支えていたのは胡氏である。10世紀、唐の昭宗の子が変乱から逃れてこの地に隠れ住み胡姓を称した。胡氏は1465年に商売を始めて成功し、土木・建築・修祠・道路整備・架橋などを行った。17世紀中ごろ、胡氏から官僚が出たためさらに発展した。18世紀から19世紀にかけて、西遞の繁栄は頂点を極め600もの豪邸が作られた。

西遞村の中心には東西を貫く幹線道路があり、その両脇に並行する道路との間に沢山の路地がある。敬愛堂・履福堂・刺史牌樓の公共施設も設けられていた。現在でも明清建築の124棟が観光用に保全されており、そのほとんどが一般に公開されている。そのほかの主要建築物に、1578年に作られた青石牌坊・1691年に作られた大夫第（医師屋敷）などがある。

2000年11月30日、オーストラリア・ケアンズで行われた第24回ユネスコ世界遺産委員会により、「安徽省南部の古代集落群」の西遞村・宏村が世界文化遺産に登録された。


■経済
&#40671;県はその地理環境を生かして観光を主要産業としている。2003年には旅行者は111万人に達し、総収入は2.7億元でありGDPの50%以上を占める。観光業のほか、絹糸生産・農産物加工・土産物の製造がある。

・製糸紡織業
絹関係の産業は観光を除いて&#40671;県の基幹産業である。80年代初めに桑の植生が行われ、それから20年で桑園4.5万畝・繭の年生産量2千トンとなっている。製糸会社も2つあり（生糸の年生産量は400トン）、これは安徽省で第2位である。また、練糸の年生産量は260トンで、これは安徽省で第1位である。絹関係の産業総収入は1.5億元以上に達する。

・農業副産物加工
&#40671;県には農業副産物加工の企業も多い。桃源罐&#22836;食品有限公司は、糖水板栗（むき栗の水煮）・&#31660;叶（クマザサの葉・香り付けに使う）・乾燥野菜の千切り・筍の缶詰などの生産を行っており、とりわけ糖水板栗の生産量は中国第1で、その95%が輸出用である。また、&#40671;県臘八豆腐・宏潭豆腐乳などが伝統的手工業で生産されており、中国の大手スーパーなど入手できる。

&#40671;県は昔から茶の生産地として名高く、黄山毛峰・五溪香芽・西逓翠眉などの品種が知られる。また、&#40671;県泗溪郷の香榧は安徽省を代表する名産品であり、とりわけ米榧と尚榧が観光客に人気がある。

・土産物の製造
&#40671;県の観光業の発展に伴って土産物製造業も発展を続けた。始めは個人による簡単な工芸品から始まり、後に金星工芸品廠・黄山市民間工芸品有限公司などが中心になって加工企業も100に達するようになった。とりわけ文房四宝（筆・墨・紙・硯）と呼ばれる、木彫り・レンガ彫り・石彫りの製品は日本や韓国に輸出されるほか、中国の20以上の省市で売られている。&#40671;県は中国東部の観光用工芸品生産地、貿易拠点として発展を続けている。

・その他の産業
&#40671;県の機械電力設備・玩具・木竹製品産業の始まりは比較的早い。軸受・長絨玩具・高性能磁性材・小型机などが生産されており、それなりの規模に発展している。&#40671;県の竹材合板工場は、中国でも比較的初期に始まっており、その生産技術は今でも高い。


■観光
&#40671;県には世界文化遺産がある。「桃花源里人家」と呼ばれる西遞・「中国画里郷村」と呼ばれる宏村である。

世界文化遺産への登録を申請中の場所も多い。菊豆ゆかりの郷である南屏・神秘的な八大家連体建築の関麓・古&#40671;の風水村（舒秀文の故居）屏山である。

その他、徽州第一木雕樓・塔川秋色・木坑竹海・清末の名妓賽金花故居・陶淵明後裔の居住地陶嶺村落・宏村龍池湾農耕文化園などが著名である。

また、五溪山自然保護区・西遞古石窟群・鴛鴦谷・十里桃花長廊等も観光地として開発中である。


■特産品
苦丁茶・香榧・葛粉（泗溪三宝）

・苦丁茶
日本でも近年、苦い茶の代表として知られている。

・香榧
シナガヤの実。果肉に豊富な脂肪分・蛋白質・糖質・炭水化物を含み、ビタミン・不飽和脂肪酸も豊富である。

・臘八豆腐
&#40671;県の家庭風味の特産品であり、中国暦12月8日（臘八）前後にはどの家庭も豆腐を作り、これを乾燥させたものを臘八豆腐としている。

・食桃
良質の&#31868;（大陸性の稲）に一定比率でもち米を混ぜて挽いた米粉。水を加えてダンゴにし蒸して食用とする。


■詩文での描写
宋代の文学家陶淵明は、&#40671;県の風景を『桃花源記』の中で描写している。
唐代の詩人李白により、

「&#40671;県小桃源，煙霞百里間，地多霊草木，人尚古衣冠」
と詠われている。


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   <title>青城山と都江堰</title>
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   <published>2008-06-15T21:13:10Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:54:42Z</updated>
   
   <summary>青城山と都江堰の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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   <category term="164" label="江堰市" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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■<strong>青城山と都江堰</strong>（せいじょうさん　と　とこうえん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2000年

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青城山

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都江堰全景

■概要
・青城山
青城山は、中国・四川省都・江堰市にある山地及び景勝地。道教の発祥の地の一つとして古代より知られ、道教関係の重要な建築物が集中し、宗教・医療・音楽などの道教文化が伝えられてきた。中国の中でも著名な歴史・名山および国家重点風景名勝区であり、2000年、付近の岷江にある古代の水利施設・都江堰とともに世界遺産（文化遺産）に指定されている。

青城山は江堰市（旧称・灌県）の市街地の西にあり、市街地に隣接した都江堰水利施設からは西南へ10km、省都成都市からは北西へ68km。成都平原の北西に屹立し霧が多い。

青城山の主峰の老霄頂は海抜1,600m。森林は四季を通して青々とし、環状に連なる峰々（三十六峰）は城郭のように見えるため青城山の名がある。蜀（四川省東部）の名山の中でも、青城山の深さと幽玄さは、剣門関の険しさ、峨眉山の秀麗さ、瞿塘峡の&#22804;門（きもん）の雄大さと並び称されている（峨眉天下秀，&#22804;門天下雄，劍門天下險，青城天下幽）。

青城山は、前山・後山に二分される。前山は青城山風景名勝区の主要部分で15平方kmの範囲に広がり、風景の優美さと道教関係の文物古跡の多さで知られ多くの観光客を集める。後山は100平方kmに及ぶ山岳で、交通が不便で地形も険しいが原生林や渓谷が多く、より幽玄で自然が一層よく保存されている。

・都江堰（水利施設）
都江堰は、中国・四川省都・江堰市西部の岷江にある古代の水利・灌漑施設である。

<img alt="300px-Dujiangyan.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Dujiangyan.jpg" width="300" height="201" />
岷江と都江堰

都江堰は、岷江が龍門山脈を抜けて成都平原（四川盆地の西部）に出るところに形成された扇状地の扇頂部に設けられており、岷江の水を左岸（東側）一帯へと分水している。都江堰は現在でも5,300平方kmに及ぶ範囲の農地の灌漑に活用されており、古代の優れた土木技術を今に残すものである。それまで水不足に苦しんでいた成都平原は水田や桑畑などが急速に広がり水運も便利になり、「天府之国」と謳われる大穀倉地帯となった。都江堰は以後も改良や補修を加えられ、2300年後の現在もなお機能する古代水利施設である。現地には、李氷の偉業を讃え石像も建てられている。1982年には国務院の指定する全国重点文物保護単位の一つとなり、2000年には青城山とともにUNESCOの世界遺産の指定を受けた。

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都江堰に至る門

なお、2008年5月12日の四川大地震で都江堰にも甚大な被害が出ている。

■地図

<img alt="China-Sichuan.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/China-Sichuan.png" width="268" height="218" />
四川省


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      <![CDATA[■<strong>青城山</strong>
・前山の道教寺院群
青城山は中国を代表する道教の名山で、道教発祥の地のひとつである。伝説によれば、道教の創始者で五斗米道の創始者でもある張陵（張道陵・祖天師）は晩年青城山に入り、この地に伝わる「黄老学説」を学んで道を開き、この地で123歳で没したとされる。青城山は道教の一派・天師道の発祥の地として神聖化され、歴代の張天師たちは全国から青城山に訪れ祖天師に朝拝した。

青城山の岩山や密林の中には多数の道宮や道観（道教寺院）がある。山の入口には唐代（724年）に創建された大きな道宮の建福宮が建ち、山門や三つの殿堂（三殿）、庭院などがある。山林の中に造られた階段を登ると、円明宮・玉清宮・上清宮などの道観があり、これらにもそれぞれ三殿や庭院がある。奥には、断崖の下に木造建築が張り付いた朝陽洞、晋代に建てられた祖師殿（真武宮）など、さらに多数の建築があり大勢の道士が修行を行っている。

天師洞は、三清殿・三皇殿・黄帝祠などの楼閣からなる青城山の核心となる道観で、黄帝祠のそばには張陵が修行・説法したという洞窟が残る。

これらの道観を経て「青城第一峰」と呼ばれる彭祖峰の山頂に至ると、「老君騎青牛」像の納められた老君閣が建つ。

各道宮・道観には壁画や浮彫などの美術品がある。また、様々な長寿薬や丹薬の研究の副産物として、火薬や漢方薬が見出され、そして後世に伝わり道教音楽も伝えられた。

・後山の名所
泰安古鎮
泰安寺が古い集落の中心に建つ。古い町並みには多くの旅館や飲食店が並んでいる。

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泰安古鎮

五龍溝
後山の見どころの一つ。古くは蠻河溝と呼ばれた渓谷。長さは8kmにわたり、かつて5匹の神龍が隠れていたとされる。

<img alt="180px-QinChengHouShan_WuLongGou.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-QinChengHouShan_WuLongGou.jpg" width="180" height="135" />
五龍溝

又一村
五龍溝の上に位置する桃花渓にある村。陶淵明の「柳暗花明又一村」から名を取られた。村には二十数戸の農家があり、観光地となっている。

白雲索道
又一村から上へ登る道。白雲古寨という古い村に至る。

白雲寺

飛泉溝
後山にある渓谷。中ほどに百丈橋という木でできた長さ100m余りの橋がある。

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百丈橋


■<strong>都江堰</strong>（水利施設）
・建設
紀元前3世紀、戦国時代の秦国・蜀郡太守・李氷（李冰）が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から紀元前251年にかけて原形となる堰を築造した。

<img alt="180px-Li_Bing_Statue_2.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Li_Bing_Statue_2.jpg" width="180" height="240" />
李氷の像

李氷は、春の雪解け水が山々から殺到することで岷江が増水し、岷江の流れが緩やかになり川幅が広くなる地点で周囲に水があふれ出して毎年洪水になると判断した。ダムを造ることが一つの解決策であったが、岷江は奥地の辺境へ軍を送る重要な水路でもあるため、ダムで完全に堰き止める案は採用せず、川の中に堤防を作り水の一部を本流から分け、その水を玉壘山を切り開いた運河を通して、岷江左岸の乾燥した成都盆地へ流すことを提案した。

李氷は昭襄王から銀十万両を与えられ、数万人を動員して工事に着手した。川の中の堤防は、石を詰めた細長い竹かごを川の中に投入して建設され、「&#27050;槎」というテトラポッド状の木枠で固定された。大規模な工事には4年の歳月が費やされた。

岷江から盆地への運河を山を切り開いて建設することは、火薬や爆薬のない当時の技術では困難であった。玉壘山の岩盤を火で温めた後に水で冷ますことを、岩盤に亀裂が入るまで繰り返しながら少しずつ岩山が崩されていった。8年の工事により20m幅の運河が山の中に建設された。李氷は工事の完成を見ることなく没し、息子の李二郎が工事を引き継ぎ完成させた。

・構造
北から南へと流れる岷江に中洲を造り、西側（金馬河）を岷江本流とし、東側（灌江）を農業用水として活用する。堰は川を分水する「魚嘴」、土砂を用水路から排出する「飛沙堰」、用水路側の水を運河へ導水する「宝瓶口」という3つの堤防状構造物からなる。

このほか川沿いの堤防（金剛堤・人字堤）、付属建築などもある。農地の灌漑・排砂・水運・街への生活用水の供給などを果たす、古代人の知恵を偲ぶことができる構造である。

・魚嘴
岷江の流れを適切な比率で本流と用水路に分ける「魚嘴」は最も重要な構造物である。外側の本流の広さは150m、内側の灌江の幅は130mとなっており、川の地形も活用して水量を配分している。春の水量が少ない時期は4割が本流へ、6割が灌江へ流れ農業用水を確保する。春や夏の増水時には水が「魚嘴」の先端を乗り越えるため、6割が本流へ向かい灌江があふれるのを防ぐ。これが「分四六、平潦旱」と表現されているこの堤防の機能である。

<img alt="250px-Yuzui1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Yuzui1.jpg" width="250" height="188" />
魚嘴の先端部

また、堤防にはかつては「&#27050;槎」というテトラポッド状の木枠が置かれていた。これは外を竹に覆われ、中に土砂がたまる仕組みのもので、農業用水が必要な時は外の本流側にこれを置き、本流の流れを制限して灌江へ導入する。田に水が漲られ、川の水位も増大する季節には本流側の「&#27050;槎」は除去され本流の流れをスムーズにする。1974年に本流側に閘門が完成したことで「&#27050;槎」の役割は終わった。

「魚嘴」の先端部は半月形でその名の通り魚の口状となっており、現在は石とコンクリートで築かれている。長さは80m、幅は広い所で39.1m、高さは6.6m。「魚嘴」の下流には「金剛堤」が続き三日月状の中州を形成する。灌江側は延長650m、本流側は延長900m。金剛堤と中州が終わった部分より下流には「飛沙堰」という灌江から本流へつながる排水路と、さらなる中州と堤防の「人字堤」が続く。「魚嘴」の上流には全長1,950mの「百丈堤」という護岸があり、あふれる水と土砂を川の西寄り（本流）に跳ね返すようになっている。

歴史的に、「魚嘴」の位置は、岷江流域を襲う大洪水や大地震などにより変動しており、建設当初より2km近く下流にある。現在の位置は1936年の改修工事で確定した。

・飛沙堰
中州で分けられた本流（左）と灌江（右）堰の中ほどにある幅200mほどの開口部・「飛沙堰」は灌江側から本流側に土砂や余分な水を戻すためのもので、洪水になっても農業用水側が氾濫しないように、農業用水側の水流が岷江本流へ戻るような仕組みとなっている。

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中州で分けられた本流（左）と灌江（右）

もとは「侍郎堰」といい、唐の高宗の龍朔年間（661年〜 663年）に建設された。飛沙堰は、金剛堤の上流側から710mの位置に、灌江側から本流側に向かって斜めに開いた開口部で、その幅一杯に川床から2mの高さの堰が作られている。運河に水が殺到し成都平原で洪水にならないよう、また運河が土砂で埋まらないように設けられたもので、遠心力で土砂や石が本流側に向かうように設計されている。渇水時に川面が低くなった時には、灌江の水は飛沙堰に阻まれて全量運河側へ入る。

水が運河の入口（宝瓶口）からあふれた時や増水の時は、水は宝瓶口の手前で滞留し回転し、飛沙堰を乗り越えて本流へと流れる。同時に、灌江側にある虎頭岩を周りこむ際の遠心力で土砂の大半が本流側に排出される。

・宝瓶口
「宝瓶口」は玉壘山の断崖に切り抜かれた狭い導水路で、その名の通り瓶の首のように細く、ここで灌江から用水路へ水が導かれ、ここから入れない余った水は120m離れた飛沙堰を乗り越え本流へ排出される。古代の灌県城の西門・玉壘関の下にあり、都江堰の建設と同時に作られた。宝瓶口は上が広く下が狭く、頂上部の幅は28.9m、底部の幅は14.3m。灌江から運河へ向かう部分の幅は70mあるが、ここで瓶の口のようにせまくなることからこの名がついた。

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宝瓶口（左奥）と離堆・離堆の上の老王廟

宝瓶口も飛沙堰と同じく、運河へ入る水の量を調節する。春季、灌江から宝瓶口を通過した水は成都平原の広大な水田を潤す。しかし増水時には、宝瓶口の手前の飛沙堰を水が乗り越えてしまうため宝瓶口に達する前に水が本流に流れてしまい、さらに宝瓶口が入る水の量を制限するため、灌漑路の沿岸では洪水にならない。宝瓶口より先では、運河は西北が高く東南が低くなるように作られているので水は自然に東南の平野の方へ流れるようになっている。

宝瓶口の左側の山の崖には、一市尺ごとに数十本の目盛（水則）が刻まれ、これは古代中国の現存最古の水位標識である。成都平原で次々水路が作られ灌漑対象地域の拡大により、必要な水量は時代ごとに増加していった。宋の時代には目盛りは10本しかなく、下から6本目の水量で農業用水は足りた。元の時代には9本目が最善とされ、それより水量が多くても少なくても成都平原は困窮した。清の時代には目盛りの16本目までの大洪水が記録されたが、今日は目盛り数は24本に増え、春の農業用水には14本目までの水量が必要である。

宝瓶口の右側の山は、運河開削で左側の山から切り離されてしまったため「離堆」の名がある。山の上には李冰を祀る伏龍観（別名：老王廟）がある。宝瓶口の両側の岩盤は2000年の間に急流で次第に削られ、大きな空洞ができてしまったため、1965年と1970年に離堆が補修された。

・効果
魚嘴とその対岸の百丈堤都江堰完成後、成都平原は豊かな農業地帯へと変わり、成都の街は岷江からの水運がつながったことで物産の集まる交通の中心となった。また李冰は、玉壘山の東に成都へ向かう2本の幹線水路を建設し、前漢の蜀郡太守・文翁は成都平原の東部へと水路を伸ばした。後漢には牧馬山高地にも灌漑水路が伸びた。同時に、都江堰の反対側である岷江右岸側にも、李冰の時代に羊摩江という灌漑路が造られたのを基礎として漢代に延伸され、成都平原西南部も灌漑されていった。漢代には灌漑面積は「万頃以上」（漢の単位「頃」は、現在の「畝」（ムー）では70畝にあたる）に達した。唐の時代、益州大都督長史の高儉が灌漑水路の支線を建設し、稠密な水路が平原を覆い水田が拡大を続けた。この水路網の起点はすべて都江堰にあった。

<img alt="250px-Dujiangyan_Irrigation_System.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Dujiangyan_Irrigation_System.jpg" width="250" height="161" />
魚嘴とその対岸の百丈堤

宋代においては、王安石の『京東提点刑獄陸君墓誌銘』によれば、都江堰の灌漑区域は1府2軍2州12県に達し、1.7万頃（現在の137.7万畝）に達していた。清代には14の州県の約300万畝が、1937年の統計では263.71万畝が都江堰の恩恵に浴していた。1938年に出版された『都江堰水利述要』では「川西地方の14県の広さの……約520余万畝」と記載されている。中華人民共和国はさらに水路網の拡充を続け、1960年代末には灌漑面積は678万畝に、1980年代初頭には龍泉山脈（成都の南で四川盆地の中央を東北から西南へ横断する）以東の地区にまで灌漑地域が広がり、ダム300基弱の建設もあわせて858万畝にまで灌漑面積が拡大した。今後は1,000万畝まで灌漑面積を拡大し総引水量100億立方mにおよぶ世界最大級の水利網とする計画がある。

・管理
都江堰の管理と修繕は歴代王朝において重要な職務であり、当時の最新技術によって補強工事が行われ、洪水や地震が襲った後には修繕が繰り返された。後漢の霊帝の治世に「都水椽」と「都水長」という役職が置かれ、堰の維持管理の責務を負った。蜀漢の諸葛亮は、蜀の穀倉地帯の要である都江堰（当時は都安堰）を重視して「堰官」を置き、さらに1200人の兵を常備した（『水經注・江水』）。以後の王朝も、この地の県令に堰の維持管理に当たらせた。宋朝の時代には歳修制度（中州の堤防に使われる石の入った竹かごの補修、および中州の内側の灌江にたまった土砂の浚渫を、農閑期で川の水量の少ない冬から春にかけて行わせる）が制定された。

現在でも都江堰は現役で使用されており、中華人民共和国政府によりコンクリートでの補強が行われたほか、観光客向けの整備も行われている。

・周辺
 都江堰周辺には、堰以外にも古跡がある。都江堰建設を指揮した李冰と、その死後に工事を完成させた李二郎の親子を祀った「二王廟」、都江堰建設前に、この川に住む龍を離堆の下の川底に縛り付けたという伝承にちなみ龍を祀る「伏龍観」などである。都江堰の上流で岷江を渡る安瀾橋は、宋代に建設された時は竹や木でできた長さ500mほどの吊り橋であり、明末期に戦火で焼失したが清代後期に再建され、現在ではコンクリートを部分的に使用した吊り橋になっている。

なお、二王廟などの古建築群も2008年の四川大地震で倒壊する被害を受けた。

<img alt="250px-Erwang_Temple.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Erwang_Temple.jpg" width="250" height="188" />
二王廟


■外部リンク
・<a href="http://www.chinese-tours.com/chinatravel/travel/1135.shtml">中国世界遺産青城山</a>（日本語）
・<a href="http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/yichan/200110/200110.htm">四川省・都江堰、青城山　最古の水利施設と道教の故郷</a>（日本語） 


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   <title>大足石刻</title>
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   <published>2008-06-11T15:04:56Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:51:56Z</updated>
   
   <summary>大足石刻の世界遺産</summary>
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="162" label="釈迦涅槃像" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="161" label="宝頂山" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>大足石刻</strong>（だいそくせっこく）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1999年

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宝頂山の華厳三聖像

■概要
大足石刻は、中国・重慶市・大足県にある仏教石窟。1999年にユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された。

大足石刻では、9世紀から13世紀頃までの大乗仏教の石仏が岩の壁に彫刻されている。ほとんどが仏教に関する石仏であるが道教の神々の像も彫刻されている。

中でも宝頂山にあるブッダの入滅を描いた釈迦涅槃像が有名で、釈迦涅槃像は31メートルの長さを有している。

他に有名なものとして、金箔を張った千手観音菩薩があり、これは実際に千以上の手を有している。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Dazu_Rock_Carvings.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Dazu_Rock_Carvings.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■<strong>大足石刻</strong>の詳細

ただいま、編修中。


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   <title>武夷山</title>
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   <published>2008-06-11T14:30:08Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:51:57Z</updated>
   
   <summary>武夷山の世界遺産</summary>
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="159" label="玉女峰" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="158" label="福建省" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>武夷山</strong>（ぶいさん）
・登録区分　複合遺産
・登録基準　文化遺産・自然遺産
・登録年　　 1999年

<img alt="200px-China_WuYiShan_Jade-Beauty-Peak.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-China_WuYiShan_Jade-Beauty-Peak.jpg" width="200" height="267" />
玉女峰

■概要
武夷山は、中国・福建省にある大王山を中心とする山系の総称。名勝として有名で桂林と並び中国人が人生一度は訪れたいとされる場所の一つとされる。1999年以降ユネスコの世界遺産（複合遺産）に登録。

地理的には、平均350mの高度を持ち亜熱帯気候に属するため冬でも比較的温暖である。450種以上の脊椎動物、5000種以上の昆虫、2500種以上の植物が現在までに確認されている。野生のチャノキが自生している土地であり、ここで採れる茶葉から作る烏龍茶は岩茶と呼ばれ、特に岩が砕けて出来た土地に生えるものが最高級品とされる。また、独特のフレーバーをもつ紅茶ラプサン・スーチョンの産地でもある。

景観として特に美しいとされるのが「九曲渓」で、川岸には36の岩山が立ち並ぶ。ここを竹の筏でくだりながら観光ができるようになっている。周囲の岩山の中でも特に有名なものが「玉女峰」で、外に見える岩肌が美しいので、美女にたとえられこの名前が付いた。その対岸には大王峰があり、玉女峰と恋愛関係にあるとされるが、その間に鉄板鬼と呼ばれる青黒い岩あり、これが邪魔をして二つの山が出会えないようにしているという古典文学的な伝説がある。

また、朱子学の開祖、朱熹が講学を行ったとされる紫陽書院なども残っている。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Wuyishan.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Wuyishan.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>武夷山</strong>の詳細

ただいま、編修中。


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   <title>天壇</title>
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   <published>2008-06-10T15:22:39Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:51:58Z</updated>
   
   <summary>天壇の世界遺産</summary>
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   <category term="157" label="永楽帝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>天壇</strong>（てんだん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1998年

<img alt="275px-TOH_Another_Hall_3.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-TOH_Another_Hall_3.jpg" width="275" height="206" />
天壇

■概要
天壇とは北京の皇帝の廟壇の事である。中国・北京市・崇文区にある史跡で、明・清の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な場所（祭壇）である。敷地面積は約273万m&sup2;。1998年よりユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された。

1420年、明の永楽帝が建立したとされる。建設当時は天地壇と呼ばれていたが、1534年、天壇と地壇に分離、天壇と呼ばれるようになった。 中華民国（台湾）の台南市にも天壇が存在する。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Temple_of_Heaven.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Temple_of_Heaven.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>圜丘壇</strong>
皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所である。毎年、冬至に豊作を祈る儀式を行い雨が少ない年は雨乞いを行った。

形は天円地方の宇宙観に則り円形である。また欄干や階段などが陰陽思想でいう最大の陽数である9や、その倍数で構成されている。各壇の直径を合計すると45丈であり、これは単に9の倍数という意味だけでなく「九五之尊」という意味も持つ。

天壇では後述する祈年殿が有名であるが、本来的な意味では圜丘殿こそが最も重要な場所である。

■<strong>祈年殿</strong>
天壇でもっとも有名とされる建造物の一つで、天安門や紫禁城とともに北京のシンボル的存在とされる。祈年殿では、皇帝が正月の上辛五穀豊穣を祈りを捧げた。祈年殿は直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇で現存する中国最大の祭壇。中国建築史上重要な建造物とされる。木造で宝頂は金メッキがなされている。屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっており、明の時代には上から青、黄、緑となっていたが1751年にすべて青色に変えられた。ちなみに、1889年落雷により一度消失しているが、1906年に再建されている。


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   <title>頤和園</title>
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   <published>2008-06-09T02:38:34Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:51:58Z</updated>
   
   <summary>頤和園の世界遺産</summary>
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   <category term="155" label="西太后" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="98" label="北京" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>頤和園</strong>（いわえん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1998年

<img alt="275px-Summerpalace_beijing.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Summerpalace_beijing.jpg" width="275" height="192" />
頤和園（昆明湖から）

■概要
頤和園は北京の皇帝の庭園。北京西北部の海淀区に位置する庭園公園。1998年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録。

1750年建設開始、1886年には西太后によって再建がなされた。大部分が昆明湖と呼ばれる人造池である。古くは西太后の避暑地であった。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Yi_he_Yuan.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Yi_he_Yuan.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■頤和園の詳細

ただいま、編修中。


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   <title>蘇州古典園林</title>
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   <published>2008-06-09T01:49:10Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:51:59Z</updated>
   
   <summary>蘇州古典園林の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="152" label="拙政園" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="151" label="蘇州" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>蘇州古典園林</strong>（そしゅうこてんえんりん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1997年
・拡張年　　 2000年

<img alt="200px-Humble_admin_garden_suzhou_small.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Humble_admin_garden_suzhou_small.jpg" width="200" height="267" />
拙政園

■概要
蘇州古典園林は、中国・江蘇省・蘇州にある庭園の総称。中国四大名園の一つ。

蘇州古典園林の庭園の多くは明の時代に建設された。これらの多くは地元の名士により作られたもので、公共事業としてではなく個人の趣味で置かれたものである。庭園は豊かな水を利用し、池を配置した素朴な美しさを特徴とする。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Suzhou_Gardens.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Suzhou_Gardens.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■登録された庭園
・拙政園
・留園
・網師園
・環秀山荘
・退思園
・獅子林
・滄浪亭
・&#32806;園
・藝圃


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   </content>
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   <title>平遥古城</title>
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   <published>2008-06-07T02:16:17Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:02Z</updated>
   
   <summary>平遥古城の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="149" label="古城" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="148" label="平遥" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>平遥古城</strong>（へいよう　こじょう）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1997年

<img alt="275px-Pingyao-muralla-c01-f.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Pingyao-muralla-c01-f.jpg" width="275" height="177" />
平遥の城壁

■概要
平遥古城は、中国・山西省・平遥市の古い町。省都・太原から南へ100キロの地点にある。1997年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された。

14世紀明代始めに造営された町がそのまま残っている。歴史の古い中国でも戦火にあったり、改築されて昔の都市がそのまま残っていることは少ない。「城」は中国語では城壁に囲まれた町を意味する。なお、平遥は銀行業で活躍した山西商人の拠点でもあった。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Ancient_City_of_Ping_Yao.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Ancient_City_of_Ping_Yao.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■アクセス
交通は太原駅から列車が便利（約2時間）。城壁は有料で上ることができる。一周すると約6km程あり、自転車のレンタルもある。宿泊は駅前や城内で可能だが、太原を拠点に観光する場合は太原市内に泊まるのが便利。


■平遥古城の画像

<img alt="120px-RihShengChangBank.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-RihShengChangBank.jpg" width="120" height="80" />　　　<img alt="120px-Pingyao-shuanglin-si-w02b.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Pingyao-shuanglin-si-w02b.jpg" width="120" height="90" />

<img alt="120px-Pingyao-shuanglin-si-w01b.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Pingyao-shuanglin-si-w01b.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="77px-Pingyao-shuanglin-si-c01.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/77px-Pingyao-shuanglin-si-c01.jpg" width="77" height="120" />


■外部リンク
・<a href="http://letsgo-shanxi.com/">山西省（PRサイト）</a>


<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />
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   <title>麗江古城</title>
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   <published>2008-06-06T02:16:53Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:03Z</updated>
   
   <summary>麗江古城の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="147" label="雲南省" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="146" label="麗江市" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tokutoku21.net/archives/cat3/">
      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>麗江古城</strong>（れいこうこじょう）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1997年

<img alt="275px-Lijianggucheng.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Lijianggucheng.jpg" width="275" height="328" />
麗江古城

■概要
麗江古城は中華人民共和国・雲南省・麗江市の旧市街地。ナシ族によって建設された。

ナシ族は8世紀頃、現在の青海省付近から南下してきたと言われている。南下した当時は磨些詔と呼ばれる小国を建国していたが、唐により蒙舎詔に編入された。その後、近隣のチベット、中国・雲南の少数民族の影響を受け、麗江に独自の景観を作り上げた。これが現在の旧市街である。

麗江の旧市街の建築物はほとんどが木造である。仏教や道教の仏像もあり、少数民族によって書かれた麗江壁画が残る。南宋時代の土司、木氏（ムーし）による城も残っていたが1996年に起きた地震で崩壊した。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Lingjiang.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Lingjiang.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>麗江市</strong>
麗江（Lijiang）は、中華人民共和国・雲南省・西北部の地級市（地区クラスの市）。旧市街「麗江古城」が世界遺産として登録されている。

<img alt="200px-Roofs_of_old_town_Lijiang.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Roofs_of_old_town_Lijiang.jpg" width="200" height="150" />
麗江の家並み。
瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。

<img alt="200px-Lijang_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Lijang_001.jpg" width="200" height="133" />
麗江の街並み。
街の中には水路が数多く走っている。
右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。
麗江では普通に見かけることができる。

・案内
面積7,648平方キロ、人口約111万人。麗江古城は少数民族のナシ族の王都で、今でもナシ族の人々が多く住んでいる。麗江にはナシ族のほかに、リス族・プミ族・白族・イ族の人々が住み、漢族より少数民族の多い地域となっている。古城区の旧市街は世界遺産に登録されている。1996年の大地震で大きな被害を受けているが、翌年の世界遺産指定などを契機に復興が進められ、現在では地震の傷跡はほとんど見られない。

・地理
雲南省北西部の横断山脈南方、長江上流金沙江の屈曲部付近の谷に位置し、街の周りを丘に囲まれる。旧市街地の平均標高は約2400メートルの高原に位置している。市の北には標高5596メートルの玉龍雪山がある。

中国の都市は、大理のように城壁があるのが普通であるが旧市街の周囲には城壁がない。言い伝えによると、はじめ麗江を治めたとき、当時の皇帝の名“朱”から兜を取った“木”という名前を与えられた当時の頭首阿甲阿得は、木氏と姓を改め街を治めた。麗江も異民族の脅威があったが木氏は占いにより、「木が治めるこの街を、城壁で囲んだらどうなるか？“木”が“困”になってしまう。」といって城壁を造らなかったという言い伝えが残っている。 実際には、麗江には細かな水路が入り込んでいるため城壁の建設が困難なうえに効果が少なく、治水の面でも不安があったからであろう。

旧市街地は古い木造の建物がぎっしりと立ち並び、丘からの眺めは屋根瓦があたかも湖のように広がる。

・歴史
旧石器時代以降、新石器時代や青銅器時代・鉄器時代の遺跡が残り古くから人類が生存してきたことを示す。戦国時代には、秦の勢力がこのあたりに浸透してその蜀郡に属した。 漢代にはこの地に遂久県が置かれたが、唐代以降は吐蕃・南詔・大理の支配下に置かれた。

1271年、明軍が元朝に隷属していた大理国を征服すると、この地の領主に「麗江宣慰司」号を与え麗江の名が始まった。宣慰司とは中国周辺の諸民族で、統一国家を樹立せず、その民族内の有力者たちが個別に中国王朝と交際・通称する場合に、その民族の有力者たちが中国王朝より授かる土司というカテゴリーに属する官職名で、麗江ではナシ族の木氏が代々宣慰司号をうけることとなった。 その後、明代に麗江軍民府と改称され、清代には流官（中央任命官）が支配する麗江府となり、民国時代には麗江県が設置された。

1949年7月、人民解放軍が入城して麗江県人民政府が成立し、1961年4月には麗江ナシ族自治県となった。さらに、2003年6月8日、周辺地区を合わせて地区クラスの麗江市が成立。

・観光
麗江旧市街や玉龍雪山のロープウェイは人気のある観光地となっている。旧市街は古い町並みが整備・保存され、多くの建物が商店・飲食店・宿泊施設に利用され、内外から多くの観光客が訪れる観光地となっている。夜は深夜0時までライトアップされ、夜遅くまで観光客が途切れることが無い。旧市街地には「木府」と呼ばれる旧領主の政庁などが有料で公開されているが、市街地そのものは無料で入場できる。旧市街地の北側は観光客が多く観光客向けの商店などが多いが、南側は住民用の市場などがあり、ナシ族の現在の生活が垣間見られる。

<img alt="200px-Lijiang-calle-l01.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Lijiang-calle-l01.jpg" width="200" height="137" />
商店の看板にもトンパ文字が見られる。

<img alt="200px-Lijiang-danzas-mujeres-naxi-w01.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Lijiang-danzas-mujeres-naxi-w01.jpg" width="200" height="150" />
ナシ族の踊りとそれを見る観光客。

玉龍雪山は、その山麓全体が「玉龍雪山国家重点風景名勝区」として入場が有料となっており、ロープウェイやリフト、野外劇場などが整備されている。特に「氷河公園」までのロープウェイは、下部駅の標高3356メートルから氷河公園駅の標高4506メートルまで、標高差1150メートル・全長2968メートルのロープウェイが通じており、これはロープウェイで到達できる標高としてはベネズエラのメリダ山脈のロープウェイの4765メートルに次ぎ、世界で2番目の高標高地点となっている。また、駅からは4680メートル地点まで遊歩道が整備されている。


■<strong>ナシ族</strong>
ナシ族（納西族）は中華人民共和国の少数民族のひとつ。一妻多夫制。雲南省北部を中心に、四川省南部やチベット自治区東部の茫康県にも一部分布する。民族自治区域としては麗江玉龍ナシ族自治県がある。地級市である麗江市内もナシ族が多い。2000年の人口調査では中国内のナシ族人口は308,389人であった。

ナシ族は元来母性社会で、家庭などでの女性の地位が高い。それを表す一例として『祖母部屋』がある。これは一家の長である最年長の女性が住む部屋で、ここに先祖の祭壇などがあり家内の未成年はみなここに住むことになっていた。現在でも古い家にはこの部屋があるという。ナシ族は基本的に自然崇拝であるがラマ教の影響も多く受けている。ナシ族の町でラマ教の建物は重要な位置を占める。麗江には小川がたくさんあり、中州に生命や死んだ人などを祭る色とりどりの祭壇がある。

ナシ語はチベット・ビルマ語族イ語グループに属し、民族的にはイ族やリス族に近い。ただ漢族との往来が多く大部分は中国語も話せる。ナシ族は東巴文（トンパ文字）と称する象形文字を持っているが、宗教的に使用されるのみで別に表音文字もあった。しかし、これもあまり使用されず、1957年に制定されたラテン文字も行われている。トンパ文字は現在も宗教的に使用され、原始仏教にもっとも近いとされ世界唯一の生きた象形文字としてユネスコ世界の記憶に登録されている。東巴宮(資料館)にはありアリリ（踊り）の楽譜などが展示され今も残っている。現在の麗江市では、観光的にトンパ文字を使用することが広まっており、多くの観光案内表記や商店・宿泊施設の看板等には漢字表記のほかにトンパ文字も併記されており、少数民族地域であることを強調している。

また日本では、キリンビバレッジが飲料のパッケージに使ったことで一時有名にもなった。

<img alt="180px-Tompa_characters_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Tompa_characters_001.jpg" width="180" height="120" />
トンパ文字。

絵文字のような形状で、見ていると何となく意味が解るような気がするが文法は複雑である。

晋代の摩沙夷・唐代の磨些蛮を淵源とし、四川から南下して金沙江流域で繁栄した。唐代には吐蕃王朝や南詔の支配を受け、 元・明時代にはナシ族首領が土司に任命されて中国王朝の間接支配を受けた。 明代のナシ族首領木氏は麗江府土官に任命されていたが、清代になって改土帰流が行われ直接支配地域となった。

近隣のモソ族（摩梭族）は、現在、中国政府の政策上ナシ族の一部として取り扱われている。


■交通
・麗江三義空港


■外部リンク
・<a href="http://www.china-world.info/">麗江市（日本語サイト）</a> 
・<a href="http://www.chinaviki.com/china-photos/lijiang/">麗江写真集</a>
・<a href="http://www.cnwh.org/cnsites/nljgc/ljgc1.htm">麗江古城（中国語）</a>


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   <title>峨眉山と楽山大仏</title>
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   <published>2008-06-04T02:52:34Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:04Z</updated>
   
   <summary>峨眉山と楽山大仏の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="140" label="峨眉山" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="142" label="楽山大仏" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>峨眉山と楽山大仏</strong>（がびさんとらくさんだいぶつ）
・登録区分　複合遺産
・登録基準　文化遺産・自然遺産
・登録年　　 1996年

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楽山大仏

■概要
峨眉山と楽山大仏は、中国・四川省にあるユネスコの世界遺産（複合遺産）に登録された物件。

峨眉山は、五台山・天台山と並ぶ中国国内の仏教聖地の一つで中国三大霊山の一つ。後漢時代から仏教寺院が建設され、南宋時代には最盛期を迎えた。同じく四川省にある、713年に始まった楽山大仏も有名であり、場所は離れるが合わせて登録されることとなった。

また、この地域一帯が聖地とされたことから大規模な開発がなされず、地域の自然が非常によい状態で保たれた。現在では数種の絶滅動物を有し、植物層も豊かであることから峨眉山の自然的側面も評価され、文化遺産ではなく複合遺産として登録されるに至った。

■地図

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      <![CDATA[■<strong>峨眉山</strong>（がびさん）
峨眉山は、中国・四川省にある山。

峨眉山は道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山（五台山・天台山・峨眉山）や中国四大仏教名山（五台山・九華山・普陀山・峨眉山）の一つである。26の寺院を有し普賢菩薩の霊場とされる。一帯は聖地となっていたために自然が護られ、約3000種の植物と絶滅危惧種を含む約2000種の動物の宝庫でもある。1996年12月6日には文化面環境面両方が考慮され、楽山大仏と共にユネスコの世界遺産（複合遺産）に登録された。

一番高い峰が万仏頂（標高3098m）で、頂まで32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建設が始まり南宋時代に最盛期を迎えた。

<img alt="300px-EmeiShanTop.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-EmeiShanTop.jpg" width="300" height="177" />
峨眉山・万仏頂（標高3098m）

現代最大の寺院は、登山口にあたる報国寺で明代万暦43年（西暦1615年）に明光道人の創建とされている。

<img alt="220px-Baoguosi.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/220px-Baoguosi.jpg" width="220" height="145" />
峨眉山報国寺


■<strong>楽山大仏</strong>（らくさんだいぶつ）
楽山大仏は中国・四川省楽山市にある大仏。峨眉山地域内の長江の支流・岷江（びんこう）・大渡河・青衣江が合流する地点にある。大仏は全長約71mで幅28mの弥勒菩薩である。大仏の頭の長さは14.7m・頭の幅10m・肩の広さ24ｍ・耳の長さ7m・足の甲の長さは8.5mである（ちなみに眉毛の長さは5m・鼻の長さは6m・耳の穴には2人入れる）。

<img alt="250px-Buddha_Leshan01.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Buddha_Leshan01.jpg" width="250" height="333" />
楽山大仏

楽山大仏は、後述の韋皐が造らせた「嘉州凌雲寺大像記」の記述によれば、713年（開元元年）、当時頻繁に起こっていた水害を治めるため、僧の海通が寺院・凌雲寺に隣接する崖に石像を彫ったのが始まりである。743年（天宝2年）、海通は大仏が完成する前に亡くなったが、剣南西川節度使であった韋皐が建設を受け継ぎ803年（貞元19年）に完成した。川の合流地点に工事で出た大量の土砂を投入することにより、川底が浅くなり海通の意図通りに水害は大幅に減ることとなった。

完成当時の大仏は、「大仏像閣」と称する13層の木造の建造物に覆われ、法衣には金箔、胴には朱色が塗られていた。さらに、湧水を外に逃がすための排水溝、そして雨水を効率よく逃す溝が掘られていた。しかし明代末期に建物は焼失、大仏も風雨に晒されて色が落ち雑草に覆われていった。1962年にようやく修復が行われ、明代におそらく経典などを入れるための穴が胸にあけられていたことが判明した。

最近では酸性雨によると思われる染みが見られる。


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   <title>廬山</title>
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   <published>2008-06-03T08:14:02Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:04Z</updated>
   
   <summary>廬山の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="138" label="聖山" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="136" label="名勝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>廬山</strong>（ろざん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1996年

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廬山

■概要
廬山（中国語ではLushan）は、中国・江西省・九江市にある名山。廬山自然公園としてユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されている。

古来より名勝として知られ、東晋の田園詩人で九江の人、陶淵明の「飲酒二十首」其の五に、

「菊を採る東離の下、悠然として南山を見る」

と歌われたのをはじめ、李白・白居易ら多くの詩人に歌われている。

また、宗教的な聖山としても古くから名高く、古くは後漢の安世高が住したことで知られ、中でも、東晋の慧遠が住した東林寺で有名である。慧遠は384年の来住以来、一生、山外に出ないと誓いを立てたとされ、その事にちなんだ「虎渓三笑」の説話の舞台もこの山である。また慧遠は蓮池を造り、その白蓮にちなんだ「白蓮社」と呼ばれる念仏結社を結成したとされ、中国の浄土教の祖とされている。

最近では毛沢東ら中国共産党高官が山荘を構える避暑地でもあった。1959年、廬山で開かれた中国共産党政治局拡大会議（廬山会議）では国防部長・彭徳懐が追放され、中国現代史の舞台となった。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Lushan_National_Park.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Lushan_National_Park.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■<strong>廬山</strong>の詳細

ただいま、編修中。


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   <title>ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群</title>
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   <published>2008-06-03T06:18:00Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:05Z</updated>
   
   <summary>ラサの世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="133" label="ラサ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>ラサのポタラ宮</strong>の歴史的遺跡群（らさ の ぽたらきゅう の れきしてき いせきぐん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1994年
・拡張年　　 2000年・2001年

<img alt="Potala_Palace_PD.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/Potala_Palace_PD.jpg" width="250" height="163" />
ポタラ宮

■概要
ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群は、中国・西蔵自治区・ラサにあるポタラ宮とその周辺の建造物のユネスコの世界遺産（文化遺産）としての総称である。

ラサは吐藩の首都であり、宗教・政治上の最高責任者ダライ・ラマの鎮座する場所であった。そのため、ラサはチベット文化の中心地として発達した。ラサにあるポタラ宮をはじめとする建造物群は周辺の文化にも影響を与えチベット様式を確立。ブータン、北京、などにもその様式の影響が見られる建造物が存在する。

■登録された建造物
・ポタラ宮
・トゥルナン寺（ジョカン・大昭寺・2000年に追加登録）
・ノルブリンカ（2001年に追加登録）

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Potala_Palace.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Potala_Palace.png" width="275" height="206" />


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      <![CDATA[■<strong>ポタラ宮</strong>
ポタラ宮は、1642年チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された宮殿。標高3,700mに位置し、7世紀半ばにチベットを統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン･ガムポが、マルポリの丘に築いた宮殿の遺跡を増補拡充するかたちで建設され、ポタン・マルボ（紅宮⇒宗教的なことを行う）、ポタン・カルボ（白宮⇒政治的なことを行う）をはじめとする様々な建物から形成されている。ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポタラカ」に由来する。

<img alt="250px-20080101_9705.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-20080101_9705.jpg" width="250" height="188" />
ポタラ宮

ダライ・ラマを主としていただくチベット政府「ガンデンポタン」は、1642年、グシ・ハンよりラサをはじめとするチベットの中枢地帯の寄進を受けて発足したが、その当初はダライ・ラマが座主をつとめるデプン寺の兜卒宮（ガンデンポタン）に拠点を置いていた。1660年を期してポタラ宮殿に移転、20世紀にいたるまでこの宮殿を本拠とした。ダライ・ラマ13世は、清国滅亡の後、独立宣言を発したのを機にラサの西郊に新たにノルブリンカ宮を立て、夏はノルブリンカ、冬はポタラ宮を政府の所在地として併用した。

1950年代に勃発したチベット動乱が1959年中央チベットに波及し、同年3月、ガンデンポタンはダライ・ラマとともにインドへ脱出、ポタラ宮は主を失った。同年、「西蔵地方政府」（ガンデンポタンに対する中国政府の呼称）の廃止を宣言した中国政府はポタラ宮を接収し現在は博物館として使用されている。 現在のポタラ宮内部は、白宮のごく一部の部屋以外は原則的に非公開、紅宮は歴代ダライ・ラマの玉座や霊塔などが公開されている。屋上にも登ることができる。冬季閑散期を除き入場は見学希望日の前日に予約券を入手する必要があるが、夏季最盛期は中国人観光客が激増していることもあり、個人観光客が予約券を手に入れるためには、深夜のうちから予約券発行所に並ぶ必要があるなど、入手は困難になっている。また、外国人の場合パスポートを提示する必要がある。団体入場者は見学時間が1時間以内に制限されている。2008年1月現在入場料はチベット族が1元。漢民族などチベット族以外の民族や外国人は100元となっている。

1994年、周辺の遺跡と合わせてラサのポタラ宮の歴史的遺跡群として、ユネスコ世界遺産(文化遺産)として登録。2000年にトゥルナン寺（ジョカン・大昭寺）が拡大登録。2001年にノルブリンカが拡大登録された。


■<strong>トゥルナン寺</strong>（ジョカン・大昭寺）
トゥルナン寺は、中華人民共和国チベット自治区の首府ラサにあるチベット仏教の寺院。中国名は大昭寺。一般的には本堂に相当する部分の名称であるジョカンと呼ばれることが多い。チベットを統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガンポ王に中国より嫁いできた文成公主により7世紀に建立された。2000年に、世界遺産・ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群に追加登録されている。

<img alt="250px-Jokhang_Temple_in_Tibet.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Jokhang_Temple_in_Tibet.jpg" width="250" height="188" />
トゥルナン寺（ジョカン）正面

<img alt="250px-20071228_8808.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-20071228_8808.jpg" width="250" height="150" />
トゥルナン寺（ジョカン）正面・遠景

<img alt="250px-20071228_8807.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-20071228_8807.jpg" width="250" height="150" />
寺の屋上裏から見た正面

正門前では、五体投地で祈る熱心なチベット仏教徒を多く見ることができる。
内部には多くのマニ車を備えた回廊があり、コルラすることが出来る。

本尊は、ソンツェン・ガンポに嫁した唐の玄宗皇帝の娘・文成公主が中国から持参したとされる釈迦牟尼像である。


■<strong>ノルブリンカ</strong>
ノルブリンカ（nor・bu・gling・ka）は、中国・チベット自治区の首府ラサにある離宮とその庭園。ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能した。敷地全体が現在では公園になっており、ラサの人々の憩いの場になっている。ラサ中心地にあるポタラ宮から西へ約3キロ・総面積約36万平米。

「ノルブリンカ」は宝（ノルブ）の庭（リンカ）という意味である。

<img alt="250px-Norbulinka__August%252C_1993.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Norbulinka__August%252C_1993.jpg" width="250" height="363" />
ノルブリンカ

園内には歴代のダライ・ラマがそれぞれの建物を建造した。ダライ・ラマ14世の住居として1954年に建てられた「タクテン・ポタン」は二階建ての豪奢な建物で、当時の家具やラジオ、レコードプレーヤーなどが残されている。他には、「チェンセル・ポタン（ダライ・ラマ13世の離宮）」、「ツォキル・ポタン（湖中楼）」、「ケルサン・ポタン（ダライ・ラマ8世の離宮）」、13世の図書館、博物館、動物園などがある。

毎年8月にはチベット仏教の最大の祭りである「ショトゥン祭（ヨーグルト祭、夏安居明け祭り）」があり、この時期はノルブリンカでチベタン・オペラ（アチェ・ラモ）がチベット各地から集まった劇団により行われる。特にこの時期はピクニックをするチベット人で賑わう。

1959年3月に中華人民共和国の人民解放軍がラサに入った際、ダライ・ラマ14世が密かに脱出し、難を逃れたが、その際の脱出の舞台になった王宮がここである。


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   <title>武当山の古代建築物群</title>
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   <published>2008-05-31T14:14:20Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:06Z</updated>
   
   <summary>武当山の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="94" label="儒教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="131" label="道教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="93" label="仏教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>武当山</strong>（ぶとうさん）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1994年

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武当山の道観

■概要
武当山（ウータンシャン）は、中華人民共和国・湖北省・十堰市にある山。又の名を太和山という。山脈中には道観（道教寺院）群がある。

「玄天真武大帝」を奉る道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。道観は元の時代に戦火で焼失し、明の洪武帝の時代に再建された。道観と建物は1994年にユネスコ世界遺産（武当山古建築）となる。

日本では、映画『グリーン・デスティニー』中に物語の舞台として登場し、広く知られるようになった。


■地図

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      <![CDATA[■<strong>道教</strong>（どうきょう）
道教（英語・Taoism）は、中国三大宗教（三教と言い、儒教・仏教・道教を指す）の一つである。

道（タオ）という宇宙と人生の根源的な真理。世界の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し、仙人になることを究極の理想とする。漢民族の土着的・伝統的な宗教。道の字は「しんにょう」が終わりを、「首」が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。

道教では真理を教えることはなく各人が道を学び得ることを目的とする。神仙となって長生きをすることは道をえる機会が増えることであり奨励される。真理としての宇宙観には多様性があるとしており、道教における宣教師的存在である道士らの宗派は、宇宙の多様性を示しているとして大いに歓迎される。また中国で三教が共存するのは多様性とするからであり、各々が補完しあっている。また、食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物をえることで均衡がとれ長生きするとされる。

現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。中華人民共和国では共産主義革命と文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。また現在では、宗教帰依が許されその宗教観の修復がなされている。

なお、老子が教祖とされるため一般によく誤解されているが、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない。ただし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向があり、両者の混同から19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム（Tao-ism）の語が造られた。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。

<img alt="Baiyun.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/Baiyun.jpg" width="442" height="160" />
北京の白雲観


■起源
どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤としている。その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘（道家）の「玄」と「真」の形而上学、さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。

隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。

<img alt="200px-Incense_taiwan_temple_fu_dog.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Incense_taiwan_temple_fu_dog.jpg" width="200" height="306" />
台湾にある道観（道教の寺）


■歴史的に形成された道教
道教の教団の制度は2世紀頃の張角の太平道（黄巾の乱）、さらに張陵の五斗米道（天師道）の教団制度が基本にあるのではないかと言われている。更に中国に入ってきた仏教の教団制度との類似も指摘されている（特にその出家制度）。

西晋末の葛洪（かっこう）は、「抱朴子（ほうぼくし）」を著し、仙人となるための修行法を説いた。
北魏の寇謙之（こうけんし）は、新天師道をおこした。

5世紀頃（劉宋）の江南で活躍した道士・陸修静（りくしゅうせい 406年〜477年）は、さまざまな流れのあった道教をまとめあげる事に大きな寄与をしたと言われている。当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは系統的に別々の流れのものだった。このころには、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」の三清が文献上現れている。

南斉・梁の陶弘景（とうこうけい 456年〜536年）は、それらを体系づけた「真誥（しんこう）」を著した。

同姓の老子（李耳）を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた（道先仏後）。玄宗の時代には、司馬承禎から法&#31833;を受け道士皇帝となり、自ら『道徳経』の注釈書をつくり崇玄学（道教の学校）を設置してその試験の合格者は貢挙の及第者と同格とされた（道挙）。

唐末の杜光庭（とこうてい）の「道教霊験記（どうきょうれいげんき）」、「洞天福地岳&#28678;名山記（どうてんふくちがくとくめいざんき）」

八仙・呂洞賓（りょどうひん）ほか。呂洞賓はもっとも有名な仙人と言える。

宋代には内丹術（ないたんじゅつ・呼吸法により体内の気をめぐらせて仙丹を生み出す行法）や錬度（れんど）の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。

北宋の張伯端（ちょうはくたん）・悟真篇（ごしんへん）は内丹道の主要経典。

金・元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した。また南方には、五斗米道の流れをくむ正一教が教勢を張っていた。

「西遊記」・玉皇大帝（ぎょくこうたいてい）は孫悟空に斉天大聖（せいてんたいせい）の位を与えている。

明代の通俗小説「封神演義（ほうしんえんぎ）」は、道教の神々が大活躍している。そして、現実の道教にも影響を与えている。

<img alt="180px-Yin_yang_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Yin_yang_svg.png" width="180" height="180" />
太極図


■日本における道教
仏教や儒教と同じ頃に道教も日本に渡来した。律令制にも道教に関する役所が採用されたが、民衆運動や政争に利用され、仙人になるために水銀などの危険薬物を使うためやがて廃止された。それにかわって、陰陽師が道術を取り入れ日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。「天皇」という称号も道教に由来するという説がある（すなわち北極星という意味であるという説）。また、道教が日本の文化に受け入れられなかった理由の一つとして、仙人思想が日本文化に確立された天皇制を覆す思想に繋がるという理由で、日本人には受け入れることができなかったためであるという説もある。

日本での道教寺院は、埼玉県坂戸市の聖天宮などがある。
陰陽道の思想は、日本の都の建設や神社の創建にも影響を与えている。龍穴である。

風水は道教の陰陽五行説を応用したものである。現在でも開運を願って取り入れようとする人がおり、韓国や日本などで盛んである。ただ、これは同じく地理的要素を占う陰陽道とは少し異なる。風水では天円地方の思想のうち、地方の部分が形骸化しており、地方を天円と同じく重くみる陰陽道とは異なる。この地方という考えは、儀式としての相撲における土俵（古来四角であった）に現れていたが、現在ではその特性を失われ円になっている。

易も街頭で易者を見掛けるなど、日本にも道教に起源をもつ占術は根付いている。日本に伝来し定着した道教信仰と言えば、庚申信仰である。各地に庚申塔や庚申堂が造られ、庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着している。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰の行われている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られ一目でそれと分かる。

辛亥・甲子革令・二十四節気などの暦に関することもかなり道教の影響をうけているが、陰陽道と同じく日本独自の思想と習合などがなされている。


■外部リンク
・<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX.htm">道教と仙学</a>

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   <title>三孔</title>
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   <published>2008-05-28T05:45:48Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:07Z</updated>
   
   <summary>三孔の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="128" label="孔廟" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="126" label="孔府" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="130" label="孔林" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>三孔</strong>（さんこう）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1994年

<img alt="180px-Confucius2.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Confucius2.jpg" width="180" height="267" />
孔子像（湯島聖堂・世界で一番高い）

■概要
三孔とは、曲阜にある孔子ゆかりの史跡、孔府、孔廟、孔林、のこと。三つ穴があること、三孔ピトー官など。

三孔は、山東省・曲阜市にある孔子ゆかりの建造物。すなわち孔廟、孔府、孔林のことである。1994年以降、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された。

・孔廟
孔子の神霊を祭る霊所。孔子の死後その教えを保護した皇帝達によって手が加えられ紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築一つとされ、中国の代表的建築物といわれる。
・孔府
孔子の直系の子孫が代々住み、且つ、オフィスとしていたところ。
・孔林
200Haを越える面積を持つ孔子及びその子孫の墓。

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Temple_and_Cemetery_of_Confucius_and_the_Kong_Family_Mansion_in_Qufu.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Temple_and_Cemetery_of_Confucius_and_the_Kong_Family_Mansion_in_Qufu.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>孔廟</strong>（こうびょう）
孔廟とは、中国・山東省曲阜市の町の中心にある孔子の神霊を祭る廟所。中国最大の孔子廟でもある。中国歴代の皇帝達によって増築・補修された結果、宮殿のような壮大な建築群となり、紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つと呼ばれている。1994年以降、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に孔府、孔林とともに三孔として登録された。

<img alt="250px-Confuciustemplequfu.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Confuciustemplequfu.png" width="250" height="398" />
孔廟の平面図

・歴史
孔子の死後二年以内に、孔子の家は魯哀公により廟とされた。紀元前205年、後に前漢の高祖となる劉邦は魯において孔廟で犠牲を供えて孔子を祭る祭礼を行った。彼は後の皇帝たちや高官たちの前例を作ることとなった。皇帝たちは即位のあとや戦勝など重要な機会には曲阜を訪れるようになった。12人の皇帝が孔子を祭るため曲阜に直接訪れ、その他100人以上の皇帝は代理人を累計196回派遣している。

<img alt="300px-Confuciustempleapricotplatform.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Confuciustempleapricotplatform.jpg" width="300" height="400" />
孔廟の杏壇門

もとの孔子の三部屋の家は、611年の廟所再建の際に撤去された。北宋の時代、1012年と1094年には3つの殿閣群と4つの庭にまとめられ、その周囲に部屋の総数400を超える多くの宮殿建築が建てられた。金の後期の1214年には、火災と略奪で孔廟は破壊された。元初期の1302年までに元通りに孔廟は再建されたが、1331年には廟は皇帝の宮殿のように壁で囲まれることになった。1499年の火災の後、孔廟は現在見るような規模で再建された。しかしさらに後年、建物や石碑・装飾などの追加が次々と行われた。近年では文化大革命で石碑などがかなり折られたが、その後補修が行われた。孔廟は15回の大規模改造と31回の大きな修理、数え切れないほどの補修を受けてきたことになる。

・孔廟の概要
孔廟の寺院建築群は、中国で紫禁城に次いで二番目に大きな歴史的建造物群である。敷地面積は16,000平方メートルにおよび、木々に覆われた広大な敷地に高い大きな屋根の楼閣がいくつも突き出している。建物の部屋の総数は460もある。

<img alt="300px-Confucius_temple_1912.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Confucius_temple_1912.jpg" width="300" height="342" />
1912年に描かれた孔廟の図

1499年の火災後の大規模改造は明が北京に紫禁城を建設した後なので、孔廟の建築はいろいろな面で紫禁城に似ている。廟の主要部は9つの庭を取り囲むように建物が配置され、それら庭や建物は南北に向けられた長さ1.3kmの直線上に左右対称に並べられている。

最初の3つの庭は小さな門があり、客を迎えるように高い松の木が植えられている。最も南の門は「&#27422;星門」（Lingxing Gate、木偏に霊と書いて&#27422;）と呼ぶ。&#27422;星は古代の伝説では天上にある星で、古代の帝王を祭る際はこの星に対し儀式を行ったが、孔子もこれら帝王と同格の扱いということを表している。残りの庭を取り囲む建物群が孔廟の心臓部を形成している。これらは皇帝の色である黄色の瓦を葺かれた朱色の外壁の宮殿で、周囲の深緑の松の木々と色の対照が際立ち、非常に強い印象を残す建物である。

主要な建物は石碑などを置いた殿閣である。（金から元・1115年〜1368年の建築）「奎文閣」は1018年に建てられ、1504年と1985年に改修された建物であり、歴代の皇帝から賜った経書などが収められている。大聖門から先は三つの宮殿群が左右対称に並んでいる。東側の「東路」は詩礼堂などを中心に孔子の五代前までの祖先を祭る廟である。西の「西路」は金絲堂など、孔子の父母を祭る廟で、学問所にもなっている。巨大な「中路」の建築群は大成殿を中心に、孔子や先儒・先賢たちを祭っている。すべての廟が五殿・一祠・一閣・一壇・二堂・十七碑亭・五十三門坊を備えており、黄色の瓦で葺かれ松の大木に囲まれている。また敷地内にあるさまざまな人々から贈られた石碑は2,000を超える。

・大成殿と杏壇
大成殿はすべての中心となる巨大な建物で、横54m、奥行き34m、高さは32mに達する。28本の装飾を施された柱で支えられているが、それぞれ6mの高さと0.8mの直径があり、それぞれ地元の一個の石から切り出されている。宮殿正面の10本の柱は渦を巻いた龍で飾られている。これらの柱は、皇帝が曲阜を訪れたときには、皇帝に嫉妬心を起こさせて持ち去られないようにするため覆いを掛けられていたといわれている。大成殿は孔子の祭祀にあたって犠牲を供える場所でもある。

大成殿の前の庭にあるのは「杏壇」で、ここは孔子が弟子に講学を行ったところとされる。その際、杏の木の下で教えたといわれることを記念して名づけられている。


■<strong>孔府</strong>（こうふ）
孔府とは、中国・山東省曲阜市の町の中心の大きな面積を占める、孔子の直系子孫とその家族が住んだ公邸。孔子の神霊を祭る孔廟の東側に位置する。中国歴代の皇帝達によって爵位を受けた中国きっての名門一家の住まいであり中国有数の規模を誇る邸宅だったが、当主である孔子の子孫が中華人民共和国建国後に台湾に移ったため、現在では観光地として一般公開されている。1994年以降、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に孔廟、孔林とともに三孔として登録された。

<img alt="300px-Confuciusmansionqufu.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Confuciusmansionqufu.jpg" width="300" height="225" />
孔府の内部

孔家は代々皇帝から尊敬を受け、爵位を与えられていた。前漢成立後の紀元前195年、高祖劉邦は孔子から9代目の子孫である孔騰を「奉祀君」に封じ、北宋時代の1055年には孔家は「衍聖公」という爵位を受け、以後中華民国の成立まで孔家は衍聖公を名乗り続けた。孔子の子孫は、孔子の神霊を祭る「孔廟」と、孔子とその一族の墓所である「孔林」を維持管理するため曲阜に家を設けた。彼らは孔廟において、収穫・葬祭・生誕日などの際に儀式を執り行う役も果たしていた。また、孔家は中国史上でもっとも広大な農地を所有し管理する大地主でもあった。

最初の邸宅は、1038年孔廟に直接つながる形で建設された。1377年の再建の際、孔府は孔廟からやや離れた位置に移された。1503年、大規模な拡張工事により、部屋の総数560室で、孔廟のように9つの中庭がある3つの列の建築物群に再編された。孔府は1838年に完全な改修を受けたが、そのわずか47年後、1887年に火災で焼失し、2年後に再建された。19世紀の大改修と再建の費用はすべて清朝皇帝によりまかなわれた。今日、孔府は12,470平方メートルの面積に、480の部屋数のある152の建物で構成されている。邸宅には1937年まで孔子の子孫一家が住んでいたが、後に第76代が台湾に逃避している。

孔府の平面計画は伝統的な中国の邸宅様式で、正門の前方にある官邸部分と後方にある私邸部分からなる。官邸部分の宮殿群は皇帝の勅使や高官を迎えたり、祭礼や所有地などに関する公務を行った場所である。私邸は儒教上の秩序や序列にしたがって、居住者の中でも長幼の序や男女の別、位の上下などにより建物が分けられていた。もっとも年長の者は中央の3つの大きな建物を使い、その弟は東側の建物に住んでいた。


■<strong>孔林</strong>（こうりん）
孔林は、中国・山東省曲阜市の町の北部一帯に広がる孔子とその一族の墓所。樹齢の古い木々に覆われた広大な墓域には十万を超える孔子の子孫たちの墓碑が散在し、一家族の墓地としては世界最大規模のものである。1994年以降、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に孔廟、孔府とともに三孔として登録された。

<img alt="250px-Confuciustombqufu.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Confuciustombqufu.jpg" width="250" height="333" />
孔林の孔子墓

曲阜の県城の北門から孔林の正門までは、1,266mの長さの林道路と呼ばれる道が直線状に伸びており、コノテガシワの並木が続いている。県城をでる手前には、孔子の最愛の弟子だった顔回の廟・顔廟があり、並木道の途中には明代に建てられた「万古長春」と刻まれた門のような石坊が道をまたいで建っている。孔林の正門である二林門をくぐると城壁に囲まれた広大な墓域・孔林に入り、やがて享殿という黄色い瓦の宮殿風の拝殿に着く。孔子の墓はこの後ろである。

孔子のもともとの墓は泗水のほとりに作られており、犠牲をささげるための煉瓦の基壇があった。現在の孔子の墓は半球形の丘であり、前に「大成至聖文宣王墓」と彫られた墓碑が立つ。ただし、墓碑には文化大革命時に紅衛兵が割った跡が残っている。この時紅衛兵は孔子の墓も暴いたが、中に人骨などの痕跡はなかったという。

孔子の死後、孔子の子孫たちの墓や孔子を称える石碑などが周りに追加されていった。孔子の子孫は「衍聖公」の称号を授与され、乾隆帝の娘など皇族の姫を妻として迎えたため、墓の多くは位が高い者としての権威の象徴になっている。墓碑は漢の時代から使われ始め、宋、元、明、清の時代に遡る3,600の墓碑が今もたつ。1333年には、孔林の周りの城壁と門の建設が開始された。後に13回の修復と拡張が孔林に対し行われた。18世紀の終わりには、高さ4mの城壁の長さは5ｋｍ以上に及び、約2平方キロメートルの範囲を囲うようになっている。この範囲には、2000年の長きにわたり埋葬された10万人以上の孔子の子孫たちの墓がある。最も古いものは周代より、最も新しいものは第76代と第78代の子孫のものである。1万本以上のカシワやマツなどの古い木々が、墓所全体に森のような印象を与えている。


■外部リンク
・<a href="http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/yichan/200305/yichan.htm">世界遺産めぐり（19）山東省・曲阜 『人民中国』</a>　（日本語）

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   <title>承徳避暑山荘と外八廟</title>
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   <published>2008-05-26T02:52:12Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:07Z</updated>
   
   <summary>承徳避暑山荘と外八廟の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="124" label="承徳市" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>承徳避暑山荘と外八廟</strong>（しょうとくひしょさんそうとがいはちびょう）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1994年

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冷枚（清朝時代の画家）による避暑山荘図

■概要
承徳避暑山荘と外八廟は中国・河北省・承徳市にある離宮。1994年にはユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録された。

避暑山荘は清の皇帝がかつての首都である奉天（瀋陽）へ行き来する際、立ち寄る場所として87年間にわたり整備された離宮である。この離宮の整備にあたっては蘇州の寒山寺などがモチーフにされている。その周りには寺廟が周りを取り巻いている。これを外八廟という。外八廟にはポタラ宮をモデルにして建造された普陀宗乗之廟（ふだしゅうじょうしびょう）があり、外八廟はチベット様式と中国の様式を折衷した代表的様式として知られる。

■登録された物件
・避暑山荘
・外八廟

■地図

<img alt="270px-LocMap_of_WH_Mountain_Resort.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_of_WH_Mountain_Resort.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■<strong>避暑山荘</strong>（ひしょさんそう）
避暑山荘は中国・河北省・承徳市にある、清朝時代の離宮である。避暑離宮・熱河行宮とも言われている。中国四大名園の一つでもある。総面積5460平行キロメートルで、周囲の城壁は10キロメートル。

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避暑山荘

清の皇帝は瀋陽（当時の奉天）に参拝に行くことがあったが、御幸では承徳に立ち寄ることが多かった。承徳は季候がよく自然が豊かで景色に優れ、また温泉などもあったことから、康熙帝は1703年にここに離宮を造ることを決定した。雍正帝の治世を経て乾隆帝治世の1741年から大規模な整備がなされ、竣工から87年の時を経て1790年に完成した。

避暑山荘の建築にあたっては、江南地方の名園・名勝を参考にしたと言われている。蘇州の獅子林や寒山寺、杭州の武陵寺六和塔、鎮江の金山亭、嘉興の煙雨楼などを模して作られた建造物があり、内モンゴルや大興安嶺などから松が持ち込まれ移植されている。また園内には四庫全書が収蔵されている。


■<strong>外八廟</strong>（がいはちびょう）
外八廟は中国・河北省・承徳市にある避暑山荘を取り囲んでいる寺社の総称。八廟とあるが実際にはもっと多数ある。

外八廟に含まれる寺社には多数あるが、初期に建てられた溥仁寺と溥善寺以外はすべてチベット様式で建てられている。これはチベット仏教を信仰するチベット人やモンゴル人に対する懐柔策であった。また、チベット様式の寺廟を建てたのは乾隆帝であった。乾隆帝は自分を転輪生王と認識していたとされ、チベット仏教を寺廟を建ててその徳により治めようとしたとも言われている。

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普寧寺

・寺廟一覧
溥仁寺
溥善寺
普楽寺
安遠廟
普寧寺
普祐寺
広縁寺
須弥山福寿之廟
普陀宗乗之廟
これはラサのポタラ宮を模したものである。乾隆帝はラサに画工と測量士を送り込んで実際のラサの調査をさせその上でこの建造物を建てた。そのため小ポタラ宮と称されることもある。
広安寺
羅漢寺
殊像寺


■外部リンク
・<a href="http://www.cnwh.org/cnsites/nbssz/cdbssz.htm">承徳避暑山荘及周囲寺廟</a>（中国語）
・<a href="http://www.chinaviki.com/china-travel/china-heritage/The-Mountain-Resort/index.html">承徳の避暑山荘と外八廟</a>（日本語）

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   <title>武陵源の自然景観と歴史地域</title>
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   <published>2008-05-22T00:54:40Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:08Z</updated>
   
   <summary>武陵源の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="122" label="石英" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="121" label="武陵源" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>武陵源</strong>（ぶりょうげん）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 1992年

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武陵源の風景

■概要
武陵源は湖南省張家界市にある。長家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区の総称。1992年より、ユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録。

武陵源はその独特の石の柱が立ち並んでいる景観で知られる。その柱は石英で出来ており、石英の含有率はおおよそ75%〜95%である。その石柱のほとんどが200m以上あり、場所によってはに300m以上のものも存在する。石英の外に一部ではカルスト地形などの石灰で出来た地形もあり、40ほどの洞窟が確認されている。

植物層も豊かで、中国第一級保護植物が4種、第二級が40種確認されている。動物では28種の国家級保護動物が確認されている。

地元には漢王朝の皇帝がここに住み、崩御したという伝説もある。

■地図

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      <![CDATA[■<strong>武陵源</strong>の詳細

ただいま、編修中。

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   <title>黄龍の景観と歴史地域</title>
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   <published>2008-05-21T23:04:29Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:09Z</updated>
   
   <summary>黄龍の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="120" label="キンシコウ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="117" label="黄龍風景区" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>黄龍</strong>風景区（こうりゅうふうけいく）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 1992年

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黄龍の湿地

■概要
黄龍風景区はユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録された中国の自然地域の地域の名称。

黄龍風景区は四川省ガパ州の松藩県に位置する。見所とされるのは岷山主峰の雪宝頂の眼下に広がる彩池、雪山、峡谷、森林の「四絶」と呼ばれるところである。また同風景区は中国唯一、非常に良い状態で残っている高原湿地帯であると言われる。絶滅に瀕した動物であるジャイアントパンダや、金糸猴などの貴重な生息地ともなっている。

■地図

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      <![CDATA[■<strong>キンシコウ</strong>（金糸猴）
キンシコウ (Rhinopithecus roxellana) は、中国西部、チベットに生息する霊長類である。ゴールデンモンキー・チベットコハナテングザルとも呼ばれる。最も寒冷な地に生息するサルとしても知られ、チベットの標高3000メートルの地に生息し、-5度という冬の気温に耐えられる。

IUCN（国際自然保護連合）のレッドリストでは「絶滅の危険が増大している種」とされ、「絶滅危惧II類」に分類されている。

<img alt="250px-%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25A6.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25A6.jpg" width="250" height="166" />
キンシコウ

・形態
オスの体長70cm程度、尾長70cm程度、メスはオスの半分程度の大きさである。オレンジ色の長い体毛をもつ。青白い顔にはつぶれたような形の特徴的な鼻をもつ。

・生態
キンシコウは、中国西部、チベットの山間部の森林に生息している。1頭のオスと数頭のメスからなる群れを形成する。これをユニットと呼び、数ユニットが集まってさらに大きな群れをつくることもある。

果実、種子、木の葉などを食べる。雪深い冬の間は、ヤナギ、クルミなどの木の皮が食糧となる。ウシなどと同様、胃の中に植物繊維を分解する微生物がおり、そうしたエサでも栄養に変えられることが、冬の高山でも生きていける理由だといわれる。また、この微生物が繊維を分解する際、発酵熱といわれる熱を発する。この熱を利用することで氷点下の寒冷地でも体温維持しているという。妊娠期間は約200日。通常、1子を産む。

<img alt="300px-%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25A61.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-%25E3%2582%25AD%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B7%25E3%2582%25B3%25E3%2582%25A61.jpg" width="300" height="199" />
よこはま動物園ズーラシアのキンシコウ（現在は展示終了）

・雑学
キンシコウの種小名 roxellana はトルコ皇帝の宮廷にいた娼婦ロクセラーヌにちなんで名づけられた。ロクセラーヌは金髪でつぶれた鼻をもち、キンシコウに良く似た顔をしていたとされる。

西遊記に登場する孫悟空のモデルとなったサルとして知られているが、これは1980年代に日本のサル研究者がテレビ番組中でそうかもしれないと言った一言が一人歩きしたもので、西遊記の研究者からは否定的な見解が出されている。しかし、更に他の見解では、インド地方の叙事詩ラーマーヤナに出てくる、ハヌマーン神という金の肌に、朱色の顔面を持ち、丈の長い尾を動かし、さまざまな神通力を操る猿の御神がその元ではないかと言う見解もあり、また西遊記の登場人物である玄奘三蔵法師がインドへ旅立ったことからも何かしらの影響を受けた可能性があることと共に上記の見解を全否定はできず、諸説が混在している状態といえる。

■外部リンク
・<a href="http://www.peopleschina.com/maindoc/html/guanguang/yichan/200501/yichan.htm">世界遺産めぐり（29）四川省・黄龍『人民中国』</a>　（日本語）

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   <title>九寨溝の渓谷の景観と歴史地域</title>
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   <id>tag:www.tokutoku21.net,2008://1.24</id>
   
   <published>2008-05-19T14:34:58Z</published>
   <updated>2008-07-09T04:52:11Z</updated>
   
   <summary>九寨溝の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="中国の世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="114" label="九寨溝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="116" label="岷山山脈" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tokutoku21.net/archives/cat3/">
      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>九寨溝</strong>（きゅうさいこう）
・登録区分　自然遺産
・登録年　　 1992年

<img alt="275px-Kyusaiko.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Kyusaiko.jpg" width="275" height="206" />
九寨溝（五花海）

九寨溝（簡体字：九寨&#27807;；&#25340;音: Ji&#468;zh&agrave;ig&#333;u）は中国四川省北部のガパ・チベット族羌族自治州にある自然保護区である。ユネスコの世界遺産（自然遺産）に登録されている。本稿では九寨溝とその周辺の地域について記述する。

■概要
九寨溝は石灰岩質の岷山山脈（びんざんさんみゃく）中、標高3400mから2000mに大小100以上の沼が連なる、カルスト地形の淡水の湖水地帯である。谷はY字状に分岐しており、岷山山脈から流れ出た水が、滝を作り、棚田状に湖沼が連なる。水は透明度が高く、山脈から流れ込んできた石灰石成分が沼底に沈殿し、日中には青、夕方にはオレンジなど独特の色を放つ。また、流れに乗って運ばれてきた腐葉土に植物が生え独特の景観を見せる。ジャイアントパンダの生息地としても有名である。

<img alt="250px-Lightmatter_panda.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Lightmatter_panda.jpg" width="250" height="167" />
ジャイアントパンダ

この独特の景観は水に含まれる大量の石灰岩成分によるところが大きい。棚田状の湖群の自然堤防は石灰成分の付着によって形成されたものであり、水流の中に生育する森林と言う独特の景観も石灰成分の凝固した岩に起因している。また、透明度の高い湖の底に沈んだ倒木も、その表面に石灰成分が付着し、いつまでもその形を留めていることも独特の景観に一役買っている。

チベット人など少数民族の居住地としても知られ、「九寨溝」の名もチベット人の村（山寨）が9つある谷であることから付けられたものである。

1970年代に森林伐採の労働者によって（元々居住していたチベット人以外に）偶然に発見された。

■地図

<img alt="270px-LocMap_WH_Jiuzhaigou.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-LocMap_WH_Jiuzhaigou.png" width="270" height="203" />


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      <![CDATA[■観光
自然保護のため付近の開発が制限され、1日の入場者数も制限されているが、中国屈指の人気観光地のひとつである。従来は約450km離れた成都からの長距離バスで約10時間かけての陸路が唯一のアクセス手段であったが、2003年に九寨黄竜空港（九寨溝溝口までは83キロ、黄竜渓までは52キロ）が設けられたため、空港からは約1時間半での到達が可能になった。

ただ、九寨黄竜空港は標高3500メートルの高地にあるため、心臓病や高血圧などの持病を持つ人は、その利用には注意が必要である。空港の待合所内には酸素吸入装置もあり、有料で使用可能である。また、九寨溝も溝口が既に2000メートルの標高地であり、観光客が到達できる最も標高の高い地点は「長海」の展望台で標高約3200メートルである。ある程度の高山病対策も必要である。九寨黄竜空港は気象条件によって頻繁に飛行スケジュールが乱れるため、空路を利用する場合は余裕を充分にとったスケジュールが必須である。

九寨溝内では個人客も団体客も専用の天然ガス利用の低公害型バス「グリーンバス（緑色旅遊観光車）」（1日フリー乗車券でのみ使用可能）で各景観ポイントを周遊するか、すべて徒歩で巡るかを選択できるが、一番奥までは片道30Km以上の距離があり、溝口に最も近い景観ポイントまででも徒歩で1時間30分ほどかかるため、一般的にはグリーンバスと一部景観ポイントでの徒歩での散策の組み合わせが一般的である。

ただ、Y字状の谷を行くバスはいろいろな系統があるものの、はっきりと行き先を明示していないバスも多いため、そのようなバスを個人で利用する場合は、前方に乗務しているガイド役の乗務員に行き先を確認するなどの必要がある。また、途中の景観ポイントの停留所で下車する場合、乗務員に予め伝えていないと通過する。また、途中のバス停から乗車する場合も、バスに向かって手を上げるなどしないと通過する。（なお、団体がチャーターしている専用バスもあり、そのバスは必ず通過する。）また、バス停によっては上りバスは停車するが下りバスは通過するなどのバス停もあり注意が必要である。

Y字状の谷の2つの谷の交点には「諾日朗（ノーリラン）観光センター（諾日朗旅遊服務中心）」が設置されており、レストラン・軽食コーナー・売店などがある。また、グリーンバスの各路線の乗換え地点となっているが、長海行きの乗り場だけは、上の方に離れた場所にある。また、チベット族の集落のひとつ「樹正寨」の一角は「九寨溝民俗文化村」と称した土産品店街となっている。

宿泊は溝口を中心に5つ星クラスの高級ホテルから、民宿・ユースホステルに至るまで、数多くの宿泊施設が存在する。ただ、溝口から遠く離れた宿泊施設の場合、路線バスが存在しないため、溝口まではタクシーなどの利用が必要になる。宿泊施設はチベット建築風の外観を持つ建物が多く、宿泊施設周辺の集落はチベット族の住民が多く見かけられる。なお、九寨溝のゲート内には宿泊できない建前になっているが、実際には夏季のみ専用バス路線沿いに3つあるチベット族の集落に臨時の民宿が出現する。

4月中旬から11月初めまでが盛期であり、特に中国の大型連休である5月初めと10月初めは大混雑する。冬は積雪もあるが年中グリーンバスは運転され年中観光は可能である。ただ、冬から春にかけては水量が少なめで、滝の水量が少なく一部の湖の水量も少ない。また「季節海」と呼ばれる湖は全く水がないことが多い。また、遊歩道のかなりの区間が冬季は積雪のため、春季は山火事予防のため通行止めになっている。夏季はかなり雨量が多く、雨具は必携である。最盛期は朝のうちにゲートに到着していない限り、個人客は入場総数制限に抵触し入場できないことがある。

・利用料金（全て2008年3月現在のもの）
【入場料】
通常期（4月1日〜11月15日）1日220元・学生及び60歳代の人180元 。
閑散期（11月16日〜3月31日）1日80元・学生及び60歳代の人70元。
入場料は通常期・閑散期とも20元の追加料金を支払うことにより2日間有効にできる。この場合専用の入場ゲートで、入場時に顔写真を撮影してもらう必要がある。2日目の入場時も同ゲートを利用し、顔写真で同一人物かを確認のうえで入場する。
70歳以上の人及び幼児は入場無料である。

【グリーンバス1日フリー乗車券】
通常期1日90元。
閑散期1日80元。
2日間有効入場券を所持していても、バス乗車券は1日ずつ購入する必要がある。また、徒歩だけで観光を