北京と瀋陽の明・清王朝皇宮

北京と瀋陽の世界遺産

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北京と瀋陽の明・清王朝皇宮

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北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
(ぺきんとしんようのみん・しんちょうこうきゅう)
・登録区分 文化遺産
・登録年   1987年
・拡張年   2004年

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紫禁城の中心(太和殿)

■概要
北京と瀋陽の明・清王朝皇宮(ぺきんとしんようのみん・しんちょうこうきゅう)は、中華人民共和国にあるユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された遺産名である。1987年に登録された北京の故宮博物院は世界最大の皇宮で、明と清の24代にわたる皇帝の宮城であった。また、2004年追加登録された瀋陽の瀋陽故宮は清の前身・後金の皇帝ヌルハチとホンタイジの皇宮ならびに清王朝の離宮であった。

故宮博物院(こきゅうはくぶついん)は中国の歴史的遺物を多数、所蔵・展示している博物館である。
以下の3か所にそれぞれの施設がある。なお、台北の國立故宮博物院の所蔵品は北京の故宮博物院が元来所蔵していたものである。

・故宮博物院(紫禁城)−中華人民共和国の首都・北京市
・國立故宮博物院【世界遺産未登録】−中華民国の首都・台北市
・瀋陽故宮−中華人民共和国遼寧省の省都・瀋陽市

故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。

その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきた為、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品が上海経由で南京市に運ばれた。国民政府は南京市内に所蔵倉庫を建てて故宮博物院南京分院を設立したが、1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきた為に、所蔵品は再び運び出されて四川省の巴県、峨嵋山、楽山の三箇所に避難させられた。

第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になった為、1948年の秋に中華民国政府は故宮博物院から2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へと運んだ。これによって誕生したのが台北市の國立故宮博物院であり、現在故宮博物院の所蔵品は北京と台北の二箇所に別れて展示されている。なお、これとは別に所蔵品の一部は国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄の下南京に保管されている。

なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示されている。

■世界遺産
・故宮博物院
 故宮博物院(紫禁城)−中華人民共和国の首都・北京市
 國立故宮博物院【世界遺産未登録】−中華民国の首都・台北市
 瀋陽故宮−中華人民共和国遼寧省の省都・瀋陽市

・関連項目
 紫禁城

■地図

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故宮博物院
・故宮博物院(紫禁城)・北京市

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北京の故宮博物院

北京の故宮博物院は、もとの宮殿(紫禁城)であった所を博物館にしている。一般入場料は40元(4月から10月は60元)。留学生のみ学生証によって学割が適用される場合があるが基本的には外国人は子供も一般料金が適用される。120cm以下の子供は外国人を含めて無料。「珍宝館」および「時計館」はそれぞれ別料金(10元)である。敷地内は広大で、売店や軽食堂がある。なお、現在は故宮博物院の敷地外となっている天安門や端門への登楼も有料で可能であり、正門である午門の前にも民営の小さな展示館がたくさん有る。

・國立故宮博物院・台北市

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台北の國立故宮博物院

中華民国(台湾)の國立故宮博物院は台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計60万8985 件冊にも及ぶことから世界四大博物館のひとつに数えられている。博物院では3カ月に1回の割合で展示品の入れ替えがあるが、膨大な所蔵量の為に、全ての所蔵品を見るためには8年余りもかかると言われている。なお、現在では台湾南部の嘉義県にある台湾高速鉄道嘉義駅の隣にアジア文化をテーマとした南部分院が設立されており、博物院の機能の分散化が図られている。

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翠玉白菜(代表的な所蔵品)

この博物院は1960〜70年代に中華人民共和国で生じていた文化大革命から貴重な歴史的遺産を保護するという役割を持っていたが、同時に中華民国政府が中国(China)の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱したばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置として中華民国政府に利用されていた。その為に現在では、早期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から独立と引換えに故宮博物院の文物を中国に返そうという主張が出ているが、実現の可能性はほとんど無い。

2001年より大規模な耐震・改装工事が行われ、館内の一部が閉鎖されていた。工事は2006年12月末に完了し、2007年2月8日より全館が一般公開された。

院長(閣僚級)は林曼麗(2006年1月〜)。女性初の院長で、本省人としては2人目。東京大学で博士号を取得している知日派である。

・瀋陽故宮・瀋陽市

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崇政殿

瀋陽故宮(しんようこきゅう)は中国の遼寧省瀋陽市内に残る清の離宮である。北京の故宮と並んで保存状態の良い封建時代の中国の皇帝の皇居である。建築様式は漢民族、満州民族、蒙古民族の様式が融合している。規模は北京の故宮の12分の1である。1625年に建てられた後金の2人の皇帝・ヌルハチとホンタイジの皇居で、清の入関後は引き続き離宮として用いられた。

遼寧省瀋陽市瀋陽路171号にあり、1926年に創立した。瀋陽故宮は中国に現存する二つの古代帝王の宮殿の一つであり、唯一の満州族の風格をもつ宮殿建築物群でもあり、建築面積は1万5000平方メートル。建築物群は後金の天命10年(1625年)に建てられ、清の太祖ヌルハチと皇太極の時代につくられた宮殿で、中には殿堂、庭園が100余り、部屋が500余りある。宮殿の東側には大政殿と十王亭、中央部には大清門、崇政殿、清寧宮、後花園などがあり、西側には乾隆の頃に新たに建てられた行宮がある。このユニークな特色のある宮殿は国務院の国の重要文化財保護指定を受けている。

博物館は敷地面積が7000平方メートル、収蔵されている文物は数万点もあり、いずれも清朝の宮廷の歴史、宮廷の生活を反映した実物や資料であり、典制文物、宗教関係の文物、書、絵画、磁器、刺しゅう、碑刻などが含まれ、そのなかには、数多くの国宝級の収蔵品もある。博物院の展観として、「清朝宮廷の原状」、「宮廷歴史文物」、「清代芸術品展」などがあり、清朝の前期の宮廷の遺物を主とし、2239点の文物、資料が展示されている。

1961年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)、北京と瀋陽の明・清王朝皇宮に追加登録された。現在は瀋陽故宮博物院として一般公開されている。

建築物
敷地内は主に東院、中院、西院に分けられる。

東院
東院は瀋陽故宮の中でも最も古くから建てられた主にヌルハチ時代の建物で主な建物に大政殿や十王亭がある。ホンタイジの時代には行事の時しか使われないようになった。 大政殿は東院の正殿で八角形をしており、世界唯一の建築様式で、移動式テント・ゲルを真似ている。正面の2つの柱には皇帝の象徴・金の龍が絡み付いている。 十王亭は右大臣に相当する右翼王と左大臣に相当する左翼王の執務室と八旗それぞれの建物それぞれ10の建物で、大政殿前の広場の左右にある。

中院
中院は瀋陽故宮の中でもホンタイジ時代の建物で、主な建物には崇政殿、清寧宮、鳳凰楼がある。崇政殿は中院の正殿で、ホンタイジの執務室である。鳳凰楼は瀋陽故宮の中でも最も高い建物で3層から成る。3層目からは皇帝が酒を飲みながら月を見たという。清寧宮は皇帝と皇后の寝室と側室の寝室4棟が並ぶ皇帝とその家族の生活空間であった。

西院
西院は清の入関後引き続き離宮として建てられ続けた建物である。『四庫全書』が収められていた文溯閣がある。


紫禁城
紫禁城(しきんじょう)または故宮(こきゅう)は、中華人民共和国の北京に所在する旧王宮、歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000平方メートルあり、世界最大の宮殿の遺構である。現在は、博物館(故宮博物院)になっている。

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雨の太和殿

・沿革
元がつくったものを明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから清滅亡まで宮殿として使われた。

1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、基礎が残っていたので後継王朝の清が再建して、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住、および政治の舞台となった。

1912年に清は滅亡するが中華民国の臨時政府の「優待条件」として最後の皇帝溥儀とその一族は、紫禁城の内廷での居住を許された。しかし1924年10月の馮玉祥による北京政変の際、11月5日をもって溥儀以下清の皇族は紫禁城を退去した。その後、故宮と呼ばれルーヴル美術館などの例に倣い1925年10月10日より博物館とされた。

1949年、毛沢東は城門の一つである、天安門で中華人民共和国の建国を宣言した。現在は建物自体も明と清の歴史を伝える故宮博物院の文物の一つとして一般開放されている。

2000年には観光客のためにスターバックス故宮店が開店した。開店にあたっては「伝統か、便利さか」で議論を呼び、その論議はその後も継続したが、店舗自体は伝統的な建物を活用して営業し、店名のロゴも目立たないように掲示されていた。しかし結局スターバックス故宮店は故宮側の方針変更により、2007年7月14日に店舗を閉鎖し撤退した。

・その他
入場料は一般40元(4月から10月は60元)。 留学生は学生証をもっていくと学割が適用される場合があるが、基本的に外国人は子供も含めて一般料金が適用になる。学生は20元。

有名な珍妃井のある珍宝館(10元)や北側にある景山公園(2元)、南側の天安門の楼上(15元)などは別料金がいる。

現在、主要建築物が順次修復工事中である。2006年4月現在は太和殿や左翼門等と、景山山頂の万春亭が修復のため立ち入りできない。

・主な建物
北京故宮南北の長さ961m、東西の幅753m、面積は約725000平方メートル。周囲は幅52mの護城河が囲む。城牆の高さ12m、底厚10m、頂厚は6m から7m。6つの門があり、南に天安門、最も外には端門と午門、東に東華門、西に西華門、北に玄武門(神武門)である。「紫禁城」は中国の天文学に従い、北極星(天帝)を皇帝に擬え、地上に「紫微垣」を再現したものとされる。そのため「天子は南面す」の言葉どおり、北に皇帝の宮殿が置かれている。

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景山から南に広がる紫禁城を望む

【外朝の外・皇城の南】
天安門−明代には「承天門」。法令の公布されるところである。これに対として「地安門」が皇城の北に作られていたが、現存しない 。
端門−天安門と午門の間にある門である。
太廟
太社稷

【外朝】
午門−天安門に入り、外朝の正門に当たる。官吏は午前4時にここで皇帝を遥拝することになっていた。
内金水河−「護城河」とも。紫禁城をぐるりと囲む堀で幅は52mである。
太和門−明代の名前は「皇極門」。明のころは皇帝がここで採決をした。

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内金水河と文華殿

外朝三殿
太和殿 : 明代には「皇極殿」。宮廷の行事をするもっとも重要な建物である。
中和殿 : 明代には「中極殿」。皇帝の休憩所。
保和殿 : 明代の頃は「建極殿」。皇帝が更衣をする所であった。乾隆帝以来科挙の最終試験「殿試」が行われた。
文武ニ殿
文華殿−明代には皇太子が暮らし、「内閣」が置かれた。清代には「四庫全書」が収められ、儒教の講義が行われた。
武英殿−李自成が即位した。また、清朝の順治帝の摂政ドルゴンが北京を都とする詔書を発布したところである。明代には皇帝の斎戒や大臣接見の場となり、清代には御用絵師のアトリエになった。

【内廷】
乾清門−内廷の正門。宮殿の造りで、内部には孔子を祀った一室があった。「南書房」、「軍機処」がおかれた。
乾清宮−皇帝と皇后の居住地。雍正帝のころには決済が行われ、皇帝の居住は「養心殿」に移る。宴に使用されたほか皇帝が死ぬと棺は一旦ここに安置された。

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乾清宮の内部(玉座が安置されその上に「正大光明」の扁額がある)

交泰殿−皇后の冊立の儀式が行われた。皇后は元旦、冬至、千秋(皇后誕生日)の祝賀をここで受けた。乾隆帝のころには印璽の収蔵に使用された。
坤寧宮−明代には1644年の北京陥落の時に、崇禎帝が皇后、公主を殺したところ。清朝では皇帝の結婚が執り行われる所となった。清朝では「朝神」、「夕神」という「満漢仏集合」の神々が祀られ、司祝というシャーマンによって「朝祭」「夕祭」「月祭」など満族のシャーマニズムの儀式が行われた。
養心殿−皇后の居住地である。西太后が「垂簾聴政」を行ったところ。溥儀が退位を宣言したところ。康熙帝のころ書斎とされ、次の雍正帝が寝所とし政務をとった。
東六宮−妃たちの居住地である。咸豊帝の皇后、慈安皇太后が居住し「東太后」と呼ばれた。
西六宮−妃たちの居住地である。同治帝の生母、慈禧皇太后が居住し「西太后」と呼ばれた。
東西五所
御花園−楼閣があるほか「堆秀山」という山がある。
寧壽宮−明代には「仁寿宮」。乾隆帝が退位後居住した。
慈寧宮−乾隆帝の造営である。
建福宮
壽康宮−雍正帝が母后のために建立した。以来、皇太后、太妃の居住地となった。いまは「故宮博物館図書館」になっている。
壽安宮−明代には「咸安宮」。乾隆帝が母后のために再建立した。
英華殿−明代には万寿節が行われたところである。清代には皇后、皇太后、后妃たちの持仏堂が置かれた。
神武門−紫禁城の裏の正門に当たる。今は郭沫若の揮毫で「故宮博物院」の扁額が掲げられている。

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神武門(故宮博物院の裏の正門となっている)

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長西街

【付属遺構】
西苑−紫禁城西部の「北海」、「中海」、「南海」の溜池と周囲の緑地に営まれた庭園と離宮群。北京 の水確保のために作られたが、清代には皇帝、皇族などが庭園、離宮を造営した。いまは中華人民共和国の政府機関があり、非公開のところもある。
景山−紫禁城の裏山「景山公園」になっている。1644年明朝の崇禎帝が首をつって自殺したところである。

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北東の角楼        獅子(狛犬)

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北京皇城見取図     屋根の装飾

■外部リンク
故宮博物院(北京)
紫禁城(Wikimapia航空写真)

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