三孔

三孔の世界遺産

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三孔

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三孔(さんこう)
・登録区分 文化遺産
・登録年   1994年

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孔子像(湯島聖堂・世界で一番高い)

■概要
三孔とは、曲阜にある孔子ゆかりの史跡、孔府、孔廟、孔林、のこと。三つ穴があること、三孔ピトー官など。

三孔は、山東省・曲阜市にある孔子ゆかりの建造物。すなわち孔廟、孔府、孔林のことである。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

・孔廟
孔子の神霊を祭る霊所。孔子の死後その教えを保護した皇帝達によって手が加えられ紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築一つとされ、中国の代表的建築物といわれる。
・孔府
孔子の直系の子孫が代々住み、且つ、オフィスとしていたところ。
・孔林
200Haを越える面積を持つ孔子及びその子孫の墓。

■地図

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孔廟(こうびょう)
孔廟とは、中国・山東省曲阜市の町の中心にある孔子の神霊を祭る廟所。中国最大の孔子廟でもある。中国歴代の皇帝達によって増築・補修された結果、宮殿のような壮大な建築群となり、紫禁城、岱廟と並ぶ中国三大宮廷建築の一つと呼ばれている。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に孔府、孔林とともに三孔として登録された。

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孔廟の平面図

・歴史
孔子の死後二年以内に、孔子の家は魯哀公により廟とされた。紀元前205年、後に前漢の高祖となる劉邦は魯において孔廟で犠牲を供えて孔子を祭る祭礼を行った。彼は後の皇帝たちや高官たちの前例を作ることとなった。皇帝たちは即位のあとや戦勝など重要な機会には曲阜を訪れるようになった。12人の皇帝が孔子を祭るため曲阜に直接訪れ、その他100人以上の皇帝は代理人を累計196回派遣している。

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孔廟の杏壇門

もとの孔子の三部屋の家は、611年の廟所再建の際に撤去された。北宋の時代、1012年と1094年には3つの殿閣群と4つの庭にまとめられ、その周囲に部屋の総数400を超える多くの宮殿建築が建てられた。金の後期の1214年には、火災と略奪で孔廟は破壊された。元初期の1302年までに元通りに孔廟は再建されたが、1331年には廟は皇帝の宮殿のように壁で囲まれることになった。1499年の火災の後、孔廟は現在見るような規模で再建された。しかしさらに後年、建物や石碑・装飾などの追加が次々と行われた。近年では文化大革命で石碑などがかなり折られたが、その後補修が行われた。孔廟は15回の大規模改造と31回の大きな修理、数え切れないほどの補修を受けてきたことになる。

・孔廟の概要
孔廟の寺院建築群は、中国で紫禁城に次いで二番目に大きな歴史的建造物群である。敷地面積は16,000平方メートルにおよび、木々に覆われた広大な敷地に高い大きな屋根の楼閣がいくつも突き出している。建物の部屋の総数は460もある。

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1912年に描かれた孔廟の図

1499年の火災後の大規模改造は明が北京に紫禁城を建設した後なので、孔廟の建築はいろいろな面で紫禁城に似ている。廟の主要部は9つの庭を取り囲むように建物が配置され、それら庭や建物は南北に向けられた長さ1.3kmの直線上に左右対称に並べられている。

最初の3つの庭は小さな門があり、客を迎えるように高い松の木が植えられている。最も南の門は「欞星門」(Lingxing Gate、木偏に霊と書いて欞)と呼ぶ。欞星は古代の伝説では天上にある星で、古代の帝王を祭る際はこの星に対し儀式を行ったが、孔子もこれら帝王と同格の扱いということを表している。残りの庭を取り囲む建物群が孔廟の心臓部を形成している。これらは皇帝の色である黄色の瓦を葺かれた朱色の外壁の宮殿で、周囲の深緑の松の木々と色の対照が際立ち、非常に強い印象を残す建物である。

主要な建物は石碑などを置いた殿閣である。(金から元・1115年〜1368年の建築)「奎文閣」は1018年に建てられ、1504年と1985年に改修された建物であり、歴代の皇帝から賜った経書などが収められている。大聖門から先は三つの宮殿群が左右対称に並んでいる。東側の「東路」は詩礼堂などを中心に孔子の五代前までの祖先を祭る廟である。西の「西路」は金絲堂など、孔子の父母を祭る廟で、学問所にもなっている。巨大な「中路」の建築群は大成殿を中心に、孔子や先儒・先賢たちを祭っている。すべての廟が五殿・一祠・一閣・一壇・二堂・十七碑亭・五十三門坊を備えており、黄色の瓦で葺かれ松の大木に囲まれている。また敷地内にあるさまざまな人々から贈られた石碑は2,000を超える。

・大成殿と杏壇
大成殿はすべての中心となる巨大な建物で、横54m、奥行き34m、高さは32mに達する。28本の装飾を施された柱で支えられているが、それぞれ6mの高さと0.8mの直径があり、それぞれ地元の一個の石から切り出されている。宮殿正面の10本の柱は渦を巻いた龍で飾られている。これらの柱は、皇帝が曲阜を訪れたときには、皇帝に嫉妬心を起こさせて持ち去られないようにするため覆いを掛けられていたといわれている。大成殿は孔子の祭祀にあたって犠牲を供える場所でもある。

大成殿の前の庭にあるのは「杏壇」で、ここは孔子が弟子に講学を行ったところとされる。その際、杏の木の下で教えたといわれることを記念して名づけられている。


孔府(こうふ)
孔府とは、中国・山東省曲阜市の町の中心の大きな面積を占める、孔子の直系子孫とその家族が住んだ公邸。孔子の神霊を祭る孔廟の東側に位置する。中国歴代の皇帝達によって爵位を受けた中国きっての名門一家の住まいであり中国有数の規模を誇る邸宅だったが、当主である孔子の子孫が中華人民共和国建国後に台湾に移ったため、現在では観光地として一般公開されている。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に孔廟、孔林とともに三孔として登録された。

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孔府の内部

孔家は代々皇帝から尊敬を受け、爵位を与えられていた。前漢成立後の紀元前195年、高祖劉邦は孔子から9代目の子孫である孔騰を「奉祀君」に封じ、北宋時代の1055年には孔家は「衍聖公」という爵位を受け、以後中華民国の成立まで孔家は衍聖公を名乗り続けた。孔子の子孫は、孔子の神霊を祭る「孔廟」と、孔子とその一族の墓所である「孔林」を維持管理するため曲阜に家を設けた。彼らは孔廟において、収穫・葬祭・生誕日などの際に儀式を執り行う役も果たしていた。また、孔家は中国史上でもっとも広大な農地を所有し管理する大地主でもあった。

最初の邸宅は、1038年孔廟に直接つながる形で建設された。1377年の再建の際、孔府は孔廟からやや離れた位置に移された。1503年、大規模な拡張工事により、部屋の総数560室で、孔廟のように9つの中庭がある3つの列の建築物群に再編された。孔府は1838年に完全な改修を受けたが、そのわずか47年後、1887年に火災で焼失し、2年後に再建された。19世紀の大改修と再建の費用はすべて清朝皇帝によりまかなわれた。今日、孔府は12,470平方メートルの面積に、480の部屋数のある152の建物で構成されている。邸宅には1937年まで孔子の子孫一家が住んでいたが、後に第76代が台湾に逃避している。

孔府の平面計画は伝統的な中国の邸宅様式で、正門の前方にある官邸部分と後方にある私邸部分からなる。官邸部分の宮殿群は皇帝の勅使や高官を迎えたり、祭礼や所有地などに関する公務を行った場所である。私邸は儒教上の秩序や序列にしたがって、居住者の中でも長幼の序や男女の別、位の上下などにより建物が分けられていた。もっとも年長の者は中央の3つの大きな建物を使い、その弟は東側の建物に住んでいた。


孔林(こうりん)
孔林は、中国・山東省曲阜市の町の北部一帯に広がる孔子とその一族の墓所。樹齢の古い木々に覆われた広大な墓域には十万を超える孔子の子孫たちの墓碑が散在し、一家族の墓地としては世界最大規模のものである。1994年以降、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に孔廟、孔府とともに三孔として登録された。

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孔林の孔子墓

曲阜の県城の北門から孔林の正門までは、1,266mの長さの林道路と呼ばれる道が直線状に伸びており、コノテガシワの並木が続いている。県城をでる手前には、孔子の最愛の弟子だった顔回の廟・顔廟があり、並木道の途中には明代に建てられた「万古長春」と刻まれた門のような石坊が道をまたいで建っている。孔林の正門である二林門をくぐると城壁に囲まれた広大な墓域・孔林に入り、やがて享殿という黄色い瓦の宮殿風の拝殿に着く。孔子の墓はこの後ろである。

孔子のもともとの墓は泗水のほとりに作られており、犠牲をささげるための煉瓦の基壇があった。現在の孔子の墓は半球形の丘であり、前に「大成至聖文宣王墓」と彫られた墓碑が立つ。ただし、墓碑には文化大革命時に紅衛兵が割った跡が残っている。この時紅衛兵は孔子の墓も暴いたが、中に人骨などの痕跡はなかったという。

孔子の死後、孔子の子孫たちの墓や孔子を称える石碑などが周りに追加されていった。孔子の子孫は「衍聖公」の称号を授与され、乾隆帝の娘など皇族の姫を妻として迎えたため、墓の多くは位が高い者としての権威の象徴になっている。墓碑は漢の時代から使われ始め、宋、元、明、清の時代に遡る3,600の墓碑が今もたつ。1333年には、孔林の周りの城壁と門の建設が開始された。後に13回の修復と拡張が孔林に対し行われた。18世紀の終わりには、高さ4mの城壁の長さは5km以上に及び、約2平方キロメートルの範囲を囲うようになっている。この範囲には、2000年の長きにわたり埋葬された10万人以上の孔子の子孫たちの墓がある。最も古いものは周代より、最も新しいものは第76代と第78代の子孫のものである。1万本以上のカシワやマツなどの古い木々が、墓所全体に森のような印象を与えている。


■外部リンク
世界遺産めぐり(19)山東省・曲阜 『人民中国』 (日本語)

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