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■武当山(ぶとうさん)
・登録区分 文化遺産
・登録年 1994年

武当山の道観
■概要
武当山(ウータンシャン)は、中華人民共和国・湖北省・十堰市にある山。又の名を太和山という。山脈中には道観(道教寺院)群がある。
「玄天真武大帝」を奉る道教武当派と中国武術の武当拳の発祥地。道観は元の時代に戦火で焼失し、明の洪武帝の時代に再建された。道観と建物は1994年にユネスコ世界遺産(武当山古建築)となる。
日本では、映画『グリーン・デスティニー』中に物語の舞台として登場し、広く知られるようになった。
■地図

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■道教(どうきょう)
道教(英語・Taoism)は、中国三大宗教(三教と言い、儒教・仏教・道教を指す)の一つである。
道(タオ)という宇宙と人生の根源的な真理。世界の不滅とそれに一体となるべく修行し煉丹術をおこない、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し、仙人になることを究極の理想とする。漢民族の土着的・伝統的な宗教。道の字は「しんにょう」が終わりを、「首」が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。
道教では真理を教えることはなく各人が道を学び得ることを目的とする。神仙となって長生きをすることは道をえる機会が増えることであり奨励される。真理としての宇宙観には多様性があるとしており、道教における宣教師的存在である道士らの宗派は、宇宙の多様性を示しているとして大いに歓迎される。また中国で三教が共存するのは多様性とするからであり、各々が補完しあっている。また、食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物をえることで均衡がとれ長生きするとされる。
現在でも台湾や東南アジアの華僑・華人の間ではかなり根強く信仰されている宗教である。中華人民共和国では共産主義革命と文化大革命によって道教は壊滅的な打撃を受けたが、民衆の間では未だにその慣習が息づいている。また現在では、宗教帰依が許されその宗教観の修復がなされている。
なお、老子が教祖とされるため一般によく誤解されているが、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない。ただし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向があり、両者の混同から19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られた。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。

北京の白雲観
■起源
どのようにして現在のような宗教的思想体系になったのか、ほとんど不明である。道教の発生は、中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤としている。その上に、墨家の上帝鬼神の思想信仰、儒教の神道と祭礼の哲学、老荘(道家)の「玄」と「真」の形而上学、さらに中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れてできあがった物であろう。
隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった。

台湾にある道観(道教の寺)
■歴史的に形成された道教
道教の教団の制度は2世紀頃の張角の太平道(黄巾の乱)、さらに張陵の五斗米道(天師道)の教団制度が基本にあるのではないかと言われている。更に中国に入ってきた仏教の教団制度との類似も指摘されている(特にその出家制度)。
西晋末の葛洪(かっこう)は、「抱朴子(ほうぼくし)」を著し、仙人となるための修行法を説いた。
北魏の寇謙之(こうけんし)は、新天師道をおこした。
5世紀頃(劉宋)の江南で活躍した道士・陸修静(りくしゅうせい 406年〜477年)は、さまざまな流れのあった道教をまとめあげる事に大きな寄与をしたと言われている。当時、江南呪術の系譜であるといわれる「三皇経」、またその他に「霊宝経」、「上清経」などと称される経典群があったが、それらは系統的に別々の流れのものだった。このころには、道の変化した神である「元始天尊」「霊宝天尊」「道徳天尊」の三清が文献上現れている。
南斉・梁の陶弘景(とうこうけい 456年〜536年)は、それらを体系づけた「真誥(しんこう)」を著した。
同姓の老子(李耳)を宗室の祖と仰ぐ唐朝は、宮中での道教の席次を仏教の上に置いた(道先仏後)。玄宗の時代には、司馬承禎から法籙を受け道士皇帝となり、自ら『道徳経』の注釈書をつくり崇玄学(道教の学校)を設置してその試験の合格者は貢挙の及第者と同格とされた(道挙)。
唐末の杜光庭(とこうてい)の「道教霊験記(どうきょうれいげんき)」、「洞天福地岳瀆名山記(どうてんふくちがくとくめいざんき)」
八仙・呂洞賓(りょどうひん)ほか。呂洞賓はもっとも有名な仙人と言える。
宋代には内丹術(ないたんじゅつ・呼吸法により体内の気をめぐらせて仙丹を生み出す行法)や錬度(れんど)の科目が盛行し道教の姿も大きく変化していった。
北宋の張伯端(ちょうはくたん)・悟真篇(ごしんへん)は内丹道の主要経典。
金・元の時代に、北方で全真教に代表される新道教が成立した。また南方には、五斗米道の流れをくむ正一教が教勢を張っていた。
「西遊記」・玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)は孫悟空に斉天大聖(せいてんたいせい)の位を与えている。
明代の通俗小説「封神演義(ほうしんえんぎ)」は、道教の神々が大活躍している。そして、現実の道教にも影響を与えている。

太極図
■日本における道教
仏教や儒教と同じ頃に道教も日本に渡来した。律令制にも道教に関する役所が採用されたが、民衆運動や政争に利用され、仙人になるために水銀などの危険薬物を使うためやがて廃止された。それにかわって、陰陽師が道術を取り入れ日本独自の陰陽道が生まれた。陰陽師としては、平安時代の安倍晴明などが有名である。「天皇」という称号も道教に由来するという説がある(すなわち北極星という意味であるという説)。また、道教が日本の文化に受け入れられなかった理由の一つとして、仙人思想が日本文化に確立された天皇制を覆す思想に繋がるという理由で、日本人には受け入れることができなかったためであるという説もある。
日本での道教寺院は、埼玉県坂戸市の聖天宮などがある。
陰陽道の思想は、日本の都の建設や神社の創建にも影響を与えている。龍穴である。
風水は道教の陰陽五行説を応用したものである。現在でも開運を願って取り入れようとする人がおり、韓国や日本などで盛んである。ただ、これは同じく地理的要素を占う陰陽道とは少し異なる。風水では天円地方の思想のうち、地方の部分が形骸化しており、地方を天円と同じく重くみる陰陽道とは異なる。この地方という考えは、儀式としての相撲における土俵(古来四角であった)に現れていたが、現在ではその特性を失われ円になっている。
易も街頭で易者を見掛けるなど、日本にも道教に起源をもつ占術は根付いている。日本に伝来し定着した道教信仰と言えば、庚申信仰である。各地に庚申塔や庚申堂が造られ、庚申講や庚申待ちという組織や風習が定着している。現代でも、庚申堂を中心とした庚申信仰の行われている地域では、軒先に身代わり猿を吊り下げる風習が見られ一目でそれと分かる。
辛亥・甲子革令・二十四節気などの暦に関することもかなり道教の影響をうけているが、陰陽道と同じく日本独自の思想と習合などがなされている。
■外部リンク
・道教と仙学

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