麗江古城

麗江古城の世界遺産

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麗江古城

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麗江古城(れいこうこじょう)
・登録区分 文化遺産
・登録年   1997年

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麗江古城

■概要
麗江古城は中華人民共和国・雲南省・麗江市の旧市街地。ナシ族によって建設された。

ナシ族は8世紀頃、現在の青海省付近から南下してきたと言われている。南下した当時は磨些詔と呼ばれる小国を建国していたが、唐により蒙舎詔に編入された。その後、近隣のチベット、中国・雲南の少数民族の影響を受け、麗江に独自の景観を作り上げた。これが現在の旧市街である。

麗江の旧市街の建築物はほとんどが木造である。仏教や道教の仏像もあり、少数民族によって書かれた麗江壁画が残る。南宋時代の土司、木氏(ムーし)による城も残っていたが1996年に起きた地震で崩壊した。

■地図

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麗江市
麗江(Lijiang)は、中華人民共和国・雲南省・西北部の地級市(地区クラスの市)。旧市街「麗江古城」が世界遺産として登録されている。

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麗江の家並み。
瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。

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麗江の街並み。
街の中には水路が数多く走っている。
右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。
麗江では普通に見かけることができる。

・案内
面積7,648平方キロ、人口約111万人。麗江古城は少数民族のナシ族の王都で、今でもナシ族の人々が多く住んでいる。麗江にはナシ族のほかに、リス族・プミ族・白族・イ族の人々が住み、漢族より少数民族の多い地域となっている。古城区の旧市街は世界遺産に登録されている。1996年の大地震で大きな被害を受けているが、翌年の世界遺産指定などを契機に復興が進められ、現在では地震の傷跡はほとんど見られない。

・地理
雲南省北西部の横断山脈南方、長江上流金沙江の屈曲部付近の谷に位置し、街の周りを丘に囲まれる。旧市街地の平均標高は約2400メートルの高原に位置している。市の北には標高5596メートルの玉龍雪山がある。

中国の都市は、大理のように城壁があるのが普通であるが旧市街の周囲には城壁がない。言い伝えによると、はじめ麗江を治めたとき、当時の皇帝の名“朱”から兜を取った“木”という名前を与えられた当時の頭首阿甲阿得は、木氏と姓を改め街を治めた。麗江も異民族の脅威があったが木氏は占いにより、「木が治めるこの街を、城壁で囲んだらどうなるか?“木”が“困”になってしまう。」といって城壁を造らなかったという言い伝えが残っている。 実際には、麗江には細かな水路が入り込んでいるため城壁の建設が困難なうえに効果が少なく、治水の面でも不安があったからであろう。

旧市街地は古い木造の建物がぎっしりと立ち並び、丘からの眺めは屋根瓦があたかも湖のように広がる。

・歴史
旧石器時代以降、新石器時代や青銅器時代・鉄器時代の遺跡が残り古くから人類が生存してきたことを示す。戦国時代には、秦の勢力がこのあたりに浸透してその蜀郡に属した。 漢代にはこの地に遂久県が置かれたが、唐代以降は吐蕃・南詔・大理の支配下に置かれた。

1271年、明軍が元朝に隷属していた大理国を征服すると、この地の領主に「麗江宣慰司」号を与え麗江の名が始まった。宣慰司とは中国周辺の諸民族で、統一国家を樹立せず、その民族内の有力者たちが個別に中国王朝と交際・通称する場合に、その民族の有力者たちが中国王朝より授かる土司というカテゴリーに属する官職名で、麗江ではナシ族の木氏が代々宣慰司号をうけることとなった。 その後、明代に麗江軍民府と改称され、清代には流官(中央任命官)が支配する麗江府となり、民国時代には麗江県が設置された。

1949年7月、人民解放軍が入城して麗江県人民政府が成立し、1961年4月には麗江ナシ族自治県となった。さらに、2003年6月8日、周辺地区を合わせて地区クラスの麗江市が成立。

・観光
麗江旧市街や玉龍雪山のロープウェイは人気のある観光地となっている。旧市街は古い町並みが整備・保存され、多くの建物が商店・飲食店・宿泊施設に利用され、内外から多くの観光客が訪れる観光地となっている。夜は深夜0時までライトアップされ、夜遅くまで観光客が途切れることが無い。旧市街地には「木府」と呼ばれる旧領主の政庁などが有料で公開されているが、市街地そのものは無料で入場できる。旧市街地の北側は観光客が多く観光客向けの商店などが多いが、南側は住民用の市場などがあり、ナシ族の現在の生活が垣間見られる。

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商店の看板にもトンパ文字が見られる。

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ナシ族の踊りとそれを見る観光客。

玉龍雪山は、その山麓全体が「玉龍雪山国家重点風景名勝区」として入場が有料となっており、ロープウェイやリフト、野外劇場などが整備されている。特に「氷河公園」までのロープウェイは、下部駅の標高3356メートルから氷河公園駅の標高4506メートルまで、標高差1150メートル・全長2968メートルのロープウェイが通じており、これはロープウェイで到達できる標高としてはベネズエラのメリダ山脈のロープウェイの4765メートルに次ぎ、世界で2番目の高標高地点となっている。また、駅からは4680メートル地点まで遊歩道が整備されている。


ナシ族
ナシ族(納西族)は中華人民共和国の少数民族のひとつ。一妻多夫制。雲南省北部を中心に、四川省南部やチベット自治区東部の茫康県にも一部分布する。民族自治区域としては麗江玉龍ナシ族自治県がある。地級市である麗江市内もナシ族が多い。2000年の人口調査では中国内のナシ族人口は308,389人であった。

ナシ族は元来母性社会で、家庭などでの女性の地位が高い。それを表す一例として『祖母部屋』がある。これは一家の長である最年長の女性が住む部屋で、ここに先祖の祭壇などがあり家内の未成年はみなここに住むことになっていた。現在でも古い家にはこの部屋があるという。ナシ族は基本的に自然崇拝であるがラマ教の影響も多く受けている。ナシ族の町でラマ教の建物は重要な位置を占める。麗江には小川がたくさんあり、中州に生命や死んだ人などを祭る色とりどりの祭壇がある。

ナシ語はチベット・ビルマ語族イ語グループに属し、民族的にはイ族やリス族に近い。ただ漢族との往来が多く大部分は中国語も話せる。ナシ族は東巴文(トンパ文字)と称する象形文字を持っているが、宗教的に使用されるのみで別に表音文字もあった。しかし、これもあまり使用されず、1957年に制定されたラテン文字も行われている。トンパ文字は現在も宗教的に使用され、原始仏教にもっとも近いとされ世界唯一の生きた象形文字としてユネスコ世界の記憶に登録されている。東巴宮(資料館)にはありアリリ(踊り)の楽譜などが展示され今も残っている。現在の麗江市では、観光的にトンパ文字を使用することが広まっており、多くの観光案内表記や商店・宿泊施設の看板等には漢字表記のほかにトンパ文字も併記されており、少数民族地域であることを強調している。

また日本では、キリンビバレッジが飲料のパッケージに使ったことで一時有名にもなった。

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トンパ文字。

絵文字のような形状で、見ていると何となく意味が解るような気がするが文法は複雑である。

晋代の摩沙夷・唐代の磨些蛮を淵源とし、四川から南下して金沙江流域で繁栄した。唐代には吐蕃王朝や南詔の支配を受け、 元・明時代にはナシ族首領が土司に任命されて中国王朝の間接支配を受けた。 明代のナシ族首領木氏は麗江府土官に任命されていたが、清代になって改土帰流が行われ直接支配地域となった。

近隣のモソ族(摩梭族)は、現在、中国政府の政策上ナシ族の一部として取り扱われている。


■交通
・麗江三義空港


■外部リンク
麗江市(日本語サイト)
麗江写真集
麗江古城(中国語)


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