スポンサードリンク

■昌徳宮(ハングル:チャンドックン・日本読み:しょうとくきゅう)
・登録区分 文化遺産
・登録年 1997年

秘苑
■概要
昌徳宮は、韓国・ソウル特別市に所在する李氏朝鮮時代の宮殿。17世紀始めの面影を残している。1997年「昌徳宮の建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
1405年に、正宮の景福宮に対する離宮(正宮が火災など際、王が移り住む宮殿)として建築されたが、文禄の役において焼失する。景福宮も1592年に放火により焼失しており、王朝末期の1868年に、正宮として再建されるまで約270年以上にわたり放置されたままであった。昌徳宮はその後、正宮として再建、修復が繰り返され使用された。昌徳宮は1907年に、純宗が即位すると純宗の宮殿として使用され、1910年の日韓併合後も李王となった純宗の住まいとなった。その後、朝鮮総督府により昌徳宮も大きく改変された。
宮殿の北に広がる李朝時代の王朝庭園は、秘苑(ビウォン)と呼ばれ現在も人気が高い。園内には多くの東屋や人工池などがあり、韓国造園技術の極致といわれる。文禄の役で焼失後、1623年に再建され現在まで美しい景観を保っている。

秘苑
1997年、「昌徳宮の建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。正門にあたる敦化門(トンファムン)は大韓民国最古の門といわれる。また、敦化門をくぐってすぐにある錦川橋は大韓民国最古の橋とされる。儀式の執り行われた正殿の仁政殿(インジョンジョン)、国王の執務していた宣政殿(ソンジョンジョン)、王と王妃の寝殿だった大造殿(テジョジョン)などの木造建築が残る。日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。現在でも17世紀始めの面影を残している。韓国内で原形を最もよくとどめた宮殿であり13の建物が残る。
以前は、自然保護のためガイド付きツアーの時間のみ見学可であったが、現在は毎週木曜日が自由見学日となっている。日本語ガイドは1日4回(夏期は5回)あり、当日に正門脇で入場券を購入して参加すればよい。秘苑や美しい建物は人気があり多くの観光客が訪れる。
■地図

続きを読む
■沿革
・1405年、景福宮の別宮として建設されたが、李氏朝鮮第9代成宗が正宮として使用された。
・1592年、秀吉の文禄の役による漢陽(ソウル)占領の際に焼失した景福宮の代わりに、270年間以上正宮として使用される。
・1611年、光海君によって再建される。
・1868年、再び景福宮が正宮となり、再び離宮として使用される。
・1907年、純宗がこの宮殿に移御。
■主な建造物
・敦化門 - 昌徳宮の正門(大門)・1412年当初の建築

敦化門(夜景)
・錦川橋 - 仁政門の前にある石橋
・仁政門 - 仁政殿に入って行く大門
・仁政殿 - 昌徳宮の中心的な場所で宮内外の公式行事が執り行われた
・宣政殿 - 王と臣下が議論をしたり、儒生の試験会場や宴会の場となるなど公式の執務の場であった
・熙政堂 - 王の日常生活の場
・大造殿 - 王妃の生活空間

大造殿
・御車庫 - 王と王妃が使った自動車とお御輿を保管している場所
・楽善斎 - 王の妾や女官が余生を送った目立たない場所
・水辣間(スラッカン) - 王室の台所(西洋式になっており、近代に改築されたらしい)
・後苑 - 秘苑と呼ばれ韓国の代表的な庭園
・金虎門 - 昌徳宮の西門

■外部リンク
・昌徳宮案内(日本語)
・宮殿の歴史(日本語)

▽昌徳宮 のキーワード
▽次の記事、前の記事
スポンサードリンク
当サイトのRSS
新着アイテム
ジャンル
Copyright (C) 2008
by 世界遺産 navi21