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   <title>赤い城の建造物群</title>
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   <published>2008-10-20T14:50:57Z</published>
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   <summary>赤い城の建造物群の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="242" label="ムガル帝国" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>赤い城の建造物群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2007年

<img alt="275px-Red_Fort%252C_Delhi_by_alexfurr.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Red_Fort%252C_Delhi_by_alexfurr.jpg" width="275" height="182" />
赤い城

■概要
赤い城（赤い砦・レッド・フォート・英：Red Fort）またはラール・キラー（Lal Qila）は、インドのデリーにあるムガル帝国時代の城塞。デリー城とも言う。なお、インドで「赤い城」と言えば同じく帝国時代に築かれたアーグラ城塞を指す場合もある。

毎年8月15日のインド独立記念日には、ここで首相演説が行われる。

・歴史
皇帝シャー・ジャハーンが、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバードにおける居城として築いた。9年の歳月をかけて1648年に完成。名称の由来ともなった城壁の赤い色は、建材として用いられた赤砂岩のものである。

1857年のインド大反乱を受けてイギリスは軍の駐屯地としてこれを接収。兵舎が建設されるなど、城内は大きく造り替えられた。インドの独立後も近年まで軍の施設として使用されていた。2007年には、隣接するサリームガル砦（Salimgarh）と併せて「赤い城の建造物群」として世界遺産に登録された。

■地図

<img alt="300px-Mughal.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Mughal.png" width="300" height="309" />
ムガル帝国の版図の変遷


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      <![CDATA[■主な建造物
・ラホール門：西側にある正門。城内から見てラホールの方向にあるのでこう呼ばれる。

<img alt="250px-RedFort.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-RedFort.jpg" width="250" height="167" />
ラホール門

・デリー門：城内に勤める者が出入りした南側の門。
・チャッター・チョウク（Chhatta Chowk）：ラホール門とつながるアーケード。市場として使われた。
・ナッカル・カーナ（Naqqar Khana）：時刻や王族の帰還を知らせる音楽が奏された中門。現在は戦争記念博物館となっている。
・ディーワーネ・アーム（Diwan-i-Am）：一般謁見殿。
・ディーワーネ・カース（Diwan-i-Khas）：貴賓謁見殿。
・モーティー・マスジド（Moti Masjid）：「真珠モスク」。皇帝アウラングゼーブの建造した大理石のモスク。


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   <title>チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅</title>
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   <published>2008-10-08T16:06:57Z</published>
   <updated>2008-10-31T22:16:25Z</updated>
   
   <summary>チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="289" label="チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="287" label="ヴィクトリア朝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅</strong>
（旧ヴィクトリア・ターミナス駅）

・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2004年

<img alt="240px-Mumbai_Train_Station.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/240px-Mumbai_Train_Station.jpg" width="240" height="180" />
駅正面

■概要
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅（英語：Chhatrapati Shivaji Terminus）は、インド・ムンバイにある鉄道の駅。ムンバイ近郊鉄道や、他の長距離鉄道も乗り入れている。旧名は「ヴィクトリア・ターミナス駅」（Victoria Terminus）。名称が長いせいか、「CST」または「VT」と省略した呼び方のほうがムンバイ市民には通りが良い。インド中央鉄道の本拠地であり、インドで最も乗降客の多い駅である。歴史的な建築として、2004年にユネスコ世界遺産に登録された。

■地図

<img alt="250px-Bombayindialocation.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Bombayindialocation.png" width="250" height="289" />
ムンバイ（旧名・ボンベイ）


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      <![CDATA[<img alt="180px-Mumbai_suburban_rail_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Mumbai_suburban_rail_map_svg.png" width="180" height="184" />
近郊鉄道網

■構造
1888年に建造された駅舎は、ベネチアゴシック建築様式で壮麗豪奢な建築物である。特徴として、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が見られる。内部の木彫・タイル・鉄の装飾・真鍮のレール・切符売り場の鉄柵・大階段の手すり等の装飾は、ボンベイ・アート・スクールの学生の作品である。この駅は、19世紀の鉄道駅建築として驚くべき進歩的な構造と技術力を誇っている。


■歴史
駅は1887年〜1888年に、建築家フレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計された。建造には10年かかり、ヴィクトリア女王の治世にちなみ「ヴィクトリア駅（Victoria Terminus）」と名付けられた。1996年、シヴ・セーナーの強い要望と、インドにおける改名論議の一環として、「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス（Chhatrapati Shivaji Terminus）」と改名。17世紀のマラータ王国の王チャトラパティ・シヴァージー（Chhatrapati Shivaji）にちなんでいる。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/19_mumbai/mumbai.htm">チャトラパティ・シヴァージー駅舎</a>（日本語）


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   <title>ブッダガヤの大菩提寺</title>
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   <published>2008-08-26T07:09:47Z</published>
   <updated>2008-08-26T08:56:31Z</updated>
   
   <summary>ブッダガヤの大菩提寺の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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   <category term="282" label="ゴータマ・ブッダ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="283" label="菩提樹" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>ブッダガヤの大菩提寺</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 2002年

<img alt="200px-Mahabodhitemple.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Mahabodhitemple.jpg" width="200" height="267" />
ブッダガヤの大菩提寺

■概要
ブッダガヤの大菩提寺は、インド・ブッダガヤにある寺院。古い煉瓦構造建築様式の1つである。 世界遺産（文化遺産）に登録されている。

釈迦牟尼が悟りを開いた場所であり、ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。 紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。

長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していた。1949年、ヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名による管理となった。さらに、1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつある。

■地図

<img alt="200px-India_Bihar_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-India_Bihar_locator_map_svg.png" width="200" height="226" />
ビハール州


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      <![CDATA[■<strong>釈迦</strong>
釈迦（釋迦・しゃか・梵名：シャーキャ[zaakya]、一説に前463年〜前383年・前560年〜前480年等）は、仏教の開祖である。多くの異称がある。

<img alt="214px-StandingBuddha.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/214px-StandingBuddha.jpg" width="214" height="375" />
釈迦（紀元前463年?〜紀元前383年?）

本名（俗名）は、パーリ語形：ゴータマ・シッダッタ（Gotama Siddhattha）、または、サンスクリット語形：ガウタマ・シッダールタ・ガウタマ・シッダルダとも（gautama siddhaartha）、漢訳では瞿曇・悉達多（くどん・しっだった）と伝えられる。


■<strong>ブッダガヤ</strong>
ボードガヤー（仏陀伽邪）は、ゴータマ・ブッダ（如来）の成道（悟り）の地で、八大聖地の1つ。また、ヒンドゥー教における聖地でもある。特に仏教では最高の聖地とされている。

<img alt="200px-Mahabodhitree.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Mahabodhitree.jpg" width="200" height="309" />
ブッダガヤの菩提樹（ゴータマ・ブッダの菩提樹）

インド東部・ビハール州・ネーランジャヤー（尼蓮禅）河のほとりにある。ブッダガヤには、中心にあるブッダガヤの大菩提寺（マハーボーディー寺）と、そのまわりにある各国各宗派の寺院（例：中国寺・日本寺・ネパール寺など）がある。マハーボーディー寺の中には、その本堂である高さ52mの大塔と、ゴータマ・ブッダが成道したときに座っていた金剛宝座と、成道したときにその陰にいたゴータマ・ブッダの菩提樹、沐浴の蓮池がある。


■アクセス
ネパールの首都カトマンズとの間にバスが多く走っている。
・パトナ空港
・パトナ駅


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   <title>インドの山岳鉄道群</title>
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   <published>2008-08-22T15:05:58Z</published>
   <updated>2008-08-23T15:08:13Z</updated>
   
   <summary>インドの山岳鉄道群の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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■<strong>インドの山岳鉄道群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1999年
・拡張年　　 2005年・2008年

<img alt="275px-DHR_780_on_Batasia_Loop_05-02-21_08.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-DHR_780_on_Batasia_Loop_05-02-21_08.jpg" width="275" height="184" />
ダージリン・ヒマラヤ鉄道

■概要
インドの山岳鉄道群は、ユネスコの世界遺産登録物件のひとつ。インドの山岳部を走る鉄道を対象とするものであるが、1999年に「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」の名で登録された段階では、その名の通り「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」のみが対象とされていた。2005年、「ニルギリ山岳鉄道」が登録対象に加えられた際、現在の名称に変更された。その後、2008年、「カールカー＝シムラー鉄道」（Kalka-Shimla Railway）が拡大登録された。

2008年現在運行しているインドの山岳鉄道は、あとまだ一つ「マーテーラーン丘陵鉄道」（Matheran Hill Railway）が存在する。インド政府は、これも拡大登録されることを目指しており、既に暫定リストに加えられている。

・ダージリン・ヒマラヤ鉄道（1999年・登録）
・ニルギリ山岳鉄道（2005年・登録）
・カールカー＝シムラー鉄道（2008年・拡大登録）
・マーテーラーン丘陵鉄道（暫定リスト）

■地図

<img alt="LocMap_of_WH_Darjeeling_Himalayan_Railway.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/LocMap_of_WH_Darjeeling_Himalayan_Railway.png" width="275" height="275" />


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      <![CDATA[■<strong>ダージリン・ヒマラヤ鉄道</strong>
ダージリン・ヒマラヤ鉄道（Darjeeling Himalayan Railway）は、インドの東北部に位置し、紅茶で有名なダージリン地方を走る鉄道である。登山鉄道として知られる。（最高点・2143m）

<img alt="275px-Darjeeling_Himalayan_Railway.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Darjeeling_Himalayan_Railway.jpg" width="275" height="206" />
ダージリン・ヒマラヤ鉄道

1879年、インドを当時植民地支配していたイギリス（大英帝国）が紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るために建設を開始し、1881年に全通させた。

・概要
全線は、ニュー･ジャルパーイーグリー〜ダージリン間の約88kmであるが、軌間610mmのナローゲージを使用した軽便鉄道である。ループ線が3箇所、スイッチバックが6箇所もあって高低差約2kmを登る登山鉄道でもあるため速度は遅く、7〜8時間要する（表定速度10km/h強）。並行して同区間を3〜4時間で結ぶバスも走っており、地元ではそちらの方がよく使われている。また、街中を走る区間も存在し、前述のように列車の速度が遅いため、走行中に飛び乗る乗客も多い（小学校の前では小学生も飛び乗り・飛び降りを行う）。昼食時には、オーダーにより途中駅で供給される車内食も利用できる。

1999年11月、オーストリアのゼメリング鉄道についで世界で2番目の鉄道の世界遺産に登録された。2005年にはニルギリ山岳鉄道も加え、「インドの山岳鉄道群」として拡大登録された。前述のループ線、スイッチバックを世界で初めて取り入れた鉄道であるほか、砂撒きなど登山鉄道としての工夫が随所に見られる。

開業時から使用されているイギリス製の蒸気機関車は、最古のもので110年にわたり使用されている。老朽化して故障が多いため、一般の列車はディーゼル機関車牽引に世界遺産登録後置き換わったものの、観光資源となっているため蒸気機関車牽引による列車が一部で走っている。鉄道ファンなどには、トイトレイン（おもちゃの汽車）とも呼ばれる事がある。ただし、老朽化に伴う機関車の故障・延着・途中駅での運転中止は日常茶飯で、特に、ダージリン行きは10時間以上要する場合がある。また、途中駅での運転休止の場合は、そこから乗合自動車などをチャーターして以降の駅に向かうこととなる。

当鉄道には専用の修理工場があり、パーツの一つまで砂型に溶けた鉄を流すところから手作りし、世界遺産であるこの鉄道の維持に貢献している。

・交通アクセス
コルカタなどから夜行列車を利用し、ニュー･ジャルパーイーグリーで下車、駅内で乗り換える。幹線の主要な列車は、ニュー･ジャルパーイーグリーで連絡しており、インドでは日常茶飯である遅延があっても待っていてくれる。


■<strong>ニルギリ山岳鉄道</strong>
ニルギリ山岳鉄道は、タミル・ナードゥ州・ニーラギリ県（ニルギリ県）に敷設された鉄道で、インド最古の山岳鉄道のひとつ。2005年からはダージリン・ヒマラヤ鉄道とともに、世界遺産「インドの山岳鉄道群」を構成している。

<img alt="180px-NMR_up_train_at_Kateri_Road_05-02-28_04.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-NMR_up_train_at_Kateri_Road_05-02-28_04.jpg" width="180" height="128" />

1845年に計画が持ち上がり、最終的にはイギリスの手で敷設が行われた。1899年6月、マドラス鉄道会社の経営で一般向けのものとなった。この鉄道は、メットゥパラヤムとウダカマンダラムを結んでおり、山岳部の駅は標高2200mにある。インドで稼動している最後の蒸気機関車鉄道のひとつである。

ニルギリ山岳鉄道のレールはナローゲージである。メットゥパラヤム〜クーヌール（Coonool）間では、急勾配を登るためにラック式の蒸気機関車（スイスのSchweizerische Lokomotiven und Maschinenfabrik 社製）に押されたり曳かれたりする。この区間の最大傾斜は12対1（83‰）、平均傾斜は24.5対1（41‰）である。のぼるとき蒸気機関車は最後尾に連結され、列車を押し上げる。下るときには先頭に連結され、スピードを制御する。

クーヌール〜ウダカマンダラム間は、ラック式でないレールの上をディーゼル機関車に牽かれて走行する。

この鉄道の走行区間は45.88kmで、208のカーブ・16のトンネル・250の橋が含まれている。メットゥパラヤムとウダカマンダラムの間には、クーヌール・ヒルグローヴ（Hillgrove）・ウェリントン（Wellington）・アラヴァンガドゥ（Aravangadu）・ケッティ（Ketti）・ラヴデイル（Lovedale）の各駅がある。ニルギリ山岳鉄道を管理するパラガット県管区（division）は、およそ100万ドルの年間赤字を計上している。


■外部リンク
・<a href="http://4travel.jp/sekaiisan/himalayan_railway/">ダージリン・ヒマラヤ鉄道　世界遺産ガイド</a>（日本語）


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   <title>デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群</title>
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   <published>2008-08-16T03:12:29Z</published>
   <updated>2008-08-21T15:33:07Z</updated>
   
   <summary>デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群の世界遺産</summary>
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■<strong>デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1993年

<img alt="250px-Qminar.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Qminar.jpg" width="250" height="333" />
クトゥブ・ミナール

■概要
クトゥブ・ミナール（Qutub Minar）は、インド・デリーにあるミナレット。奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたものである。おそらく、ヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたもので建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。そのため、ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。

一帯の遺跡群は、1993年、世界遺産に登録（登録名：デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群）されており、モスクやデリーの鉄柱などがある。

・<strong>デリーの鉄柱</strong>
デリーの鉄柱とはアショーカ王の柱の一種で、インド・デリー市郊外のクトゥブ・ミナール内（世界遺産）にある「錆びない鉄柱」のこと。「チャンドラヴァルマンの柱」とも言われている。

<img alt="200px-QtubIronPillar.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-QtubIronPillar.jpg" width="200" height="269" />
デリーの鉄柱

99.72%の高純度鉄で作られており、表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれている。直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m。

<img alt="300px-India-Qutb-Iron.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-India-Qutb-Iron.jpg" width="300" height="410" />
表面に刻まれたサンスクリットの碑文

現在は、デリー南部郊外メヘラウリー村のイスラム教礼拝所や、その他の歴史的建造物が集まったクトゥブ・コンプレックス（Qutb Complex）内にあり、インド有数の観光スポットになっている。紀元415年に建てられたといわれる。地上部分は、1500年以上ものあいだ錆びが内部に進行していないが、地下部分では腐食が始まっている模様である。

・<strong>ミナレット</strong>
ミナレットはモスクに付随し、礼拝時刻の告知（アザーン）を行うのに使われる塔である。ミナレットは、トルコ語のミナレ(Minare)に由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語では「マナール」あるいは「マナーラ」といい、光（ヌール）と同一語根の語であることから「光塔」と訳されることもある。南アジアでは「ミーナール」とも呼ばれる。


■地図


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      <![CDATA[■ミナレットの歴史
起源については不明であるが、シリア地方のキリスト教の教会に付設されていた鐘楼を転用としたとする説があり、また語源から、シリア・エジプトの沿岸部にあった灯台や砂漠に立てられた目印の塔を起源とするとも考えられている。

8世紀頃から壮大なものが建設されるようになり、イスラムの権威を象徴する建造物とみなされて盛んに立てられるようになった。例えば、世界最大のミナレットである「デリーのクトゥブ・ミーナール」は、インドで初めてのイスラム王朝である奴隷王朝によって建てられた。オスマン帝国のコンスタンティノポリス（イスタンブル）の聖ソフィア大聖堂は、モスクに転用した後、4本のミナレットを増築している。

現在では、集団礼拝のための集会モスク（ジャーミイ）には、必ずミナレットが建てられるものとみなされているが、ミナレットをもたないモスクも珍しいわけではない。


■ミナレットの構造
ミナレットは、構造から角柱型（シリア・北アフリカ）と円柱型（トルコ・イラン以西）に大別される。多くは尖塔であるがイラクでは螺旋状のものも見られる。円柱型の場合、直径はおおむね2m程度で、内部は螺旋階段を持つ。

先端は円錐構造となっており、塔の中間以上の部分には、アザーンの唱手の立つ柵付きの台がひとつもしくは複数あり、アザーンの詠唱はここで行われる。ただし、現在ではアザーンは、ミナレットに取り付けたスピーカーによる放送によっていることがむしろ普通である。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/11_qutub/qutub.htm">デリｰの最初のモスクとクトゥブ･ミナｰル（日本語）</a>


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   <title>デリーのフマーユーン廟</title>
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   <published>2008-08-15T01:53:07Z</published>
   <updated>2008-08-15T02:52:40Z</updated>
   
   <summary>デリーのフマーユーン廟の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="272" label="フマーユーン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="242" label="ムガル帝国" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>デリーのフマーユーン廟</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1993年

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フマーユーン廟（正面）

■概要
デリーのフマーユーン廟（英語：Humayun's Tomb）は、インド・デリーにあるムガル皇帝フマーユーンの廟。その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後（1562年）、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。そして、1993年、世界遺産（文化遺産）に登録された。

フマーユーン（1508年3月6日〜1556年2月22日）は、インドを支配したムガル帝国の第2代皇帝。初代皇帝バーブルの長男（在位：1530〜1540年・1555年〜1556年）。

■地図

<img alt="300px-Mughal.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Mughal.png" width="300" height="309" />
ムガル帝国の版図の変遷


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      <![CDATA[■<strong>フマーユーン</strong>
フマーユーンは、1530年、父・バーブルの死により即位することとなったが、皇位をめぐって3人の弟、カームラーン、ヒンダール、アスカリーと争う羽目となった。そしてようやく内紛を鎮めた後、父が在位わずか4年で死去していたために、基盤が充分に固まっていなかった王朝の内政を無視して、1539年から無謀な外征を開始する。フマーユーンは、グジャラートやベンガル方面に進出して領土を拡大しようとしたが、父ほどの才能も無かったフマーユーンのもとでムガル帝国軍は統率が取れず、逆にスール朝の反撃にあって大敗を喫した。しかも1540年、スール朝が今度は逆に侵攻してくる。フマーユーンに対抗できるような力は無く、デリーやアグラを奪われて命からがらインドから逃亡する。そして、イランのサファヴィー朝の保護を受けた。

<img alt="200px-Humayuns_Tomb_Delhi_31-05-2005_pic3.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Humayuns_Tomb_Delhi_31-05-2005_pic3.jpg" width="200" height="92" />
フマーユーン廟

その後、スール朝の衰退などもあってサファヴィー朝の援助を受けたフマーユーンは、1555年、デリーとアグラを奪還して帝国を再建した。その後は基盤固めに尽力したが、1556年に、図書館の階段を下りている最中に階段から転げ落ちて頭を打ち、それが原因で死去した（47歳没）。彼の死後、王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムは夫を弔うため、世界遺産として有名なフマーユーン廟を建てた。

ワインを愛しイラン文化に造詣が深い教養人であったためか、ムガル帝国は彼の治世のもとで文化的に発展を遂げたが、政治力や武勇は三流で帝国の政治的衰退を招いた。しかし、彼の後を継いだ息子・アクバル（大帝）の時代に、帝国は全盛期を迎えることとなる。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/12_humayun/humayun.htm">デリーのフマーユーン廟（日本語）</a>


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   <title>パッタダカルの寺院群</title>
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   <published>2008-08-09T15:19:13Z</published>
   <updated>2008-08-10T15:24:32Z</updated>
   
   <summary>パッタダカルの寺院群の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="266" label="シヴァ神" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="270" label="ヴィルーパークシャ寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>パッタダカルの寺院群</strong>
登録区分　文化遺産
登録年　　 1987年

<img alt="250px-Pattadakal1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Pattadakal1.jpg" width="250" height="188" />
パッタダガルのヴィルーパークシャ寺院

■概要
パッタダカル（Pattadakal）は、インドのカルナータカ州北部に立地する村。

・「戴冠の都」パッタダカル
チャールキヤ朝の首都はバーダーミ（旧名：ヴァーダーピ）にあったが、王族は「戴冠の都」としてパッタダカルを愛し、6世紀から8世紀にかけてはチャールキヤ朝第2の都市として繁栄した。

<img alt="250px-Chalukya_territories_lg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Chalukya_territories_lg.png" width="250" height="172" />
前期チャールキヤ朝の最大版図（7世紀）

奇跡的に破壊を免れたパッタダカルの遺跡群は「寺院都市」の典型を示し、また、南インド様式と北インド様式の寺院が混在することでも知られている。1987年、世界遺産（文化遺産）に登録された。

■地図

<img alt="200px-India_Karnataka_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-India_Karnataka_locator_map_svg.png" width="200" height="226" />
カルナータカ州


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      <![CDATA[■<strong>パッタダカルの寺院群</strong>
6世紀から8世紀にかけてのヒンドゥー教建築は、ピラミッド形をした南部の様式と砲弾形をした北部の様式が混在し、現在、9寺院が残っている。すべて、宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀ったものである。遺跡では、寺院が北から南にかけてほぼ年代順に並んでいる。

ヴィクラマディーティヤ2世（在位：733年4月〜744年5月）は、南インドのタミル人王朝（パッラヴァ朝）の建築文化が高水準であることに感動し、建築家グンダを招聘し、南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いてパッタダカルに多くのヒンドゥー教寺院を建設した。これらの寺院群は、パッラヴァ朝のカーンチプラムの寺院群の影響を強く受けた南部の様式によって建てられた。

なかでも、パッタダカルで最大規模をほこるヴィルーパークシャ寺院は、8世紀に、パッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマディーティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営され、グンダが設計を担当した寺院である。当時は、王妃の名よりローケーシュワラ寺院と呼称されたという。石でできた壮大な寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造のヴィマーナ（本堂）が戦勝を記念して寺院群の中にそびえる。寺院正面には、シヴァ神に仕える牡牛ナンディの像がある。

<img alt="280px-Pattadakal_Virupaksha_Temple.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/280px-Pattadakal_Virupaksha_Temple.jpg" width="280" height="210" />
ヴィルーパークシャ寺院
ヴィマーナの手前に列柱廊に囲まれたマンダパ（拝堂）がある。
その三方に入口のポーチが設けられている。（画面左側）

他に、南インド様式を代表する寺院に、マリカールジュナ寺院やサンガメーシュワラ寺院がある。マリカールジュナ寺院は、ヴィルーパークシャ寺院をやや小規模にしたもので、やはり王の戦勝記念に第 2王妃が造営したといわれている。どちらも屋根は、水平層を階段状に積み重ねる形式になっている。これら南部様式の寺院は、のちにつくられたエローラのカイラーサナータ寺院にも影響を与えたことで知られる。

<img alt="280px-Temple_Pattadakal.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/280px-Temple_Pattadakal.jpg" width="280" height="210" />
マリカールジュナ寺院（左）
カーシーヴィシュワナータ寺院（右）

北部の様式に属する寺院には、ガラガナータ寺院・カーシーヴィシュワナータ寺院・ジャンブリンガ寺院・カダシッデーシュワラ寺院があり、のちの北インド様式に特徴的なシカラに似た塔をともなう。これらは、上述の3寺院と隣接して建てられている。

これらと離れた場所に単独で建てられたのがバーバナータ寺院であり、北部の様式に属する。この寺院は、工匠たちによって、柱・天井・壁面いっぱいに「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などの題材が彫られていることで知られる。天井に彫刻を施したのは、前期チャールキヤ朝の建築が初例である。

他に南北両様式混在の寺院もあり、このことは、まだ両様式が完全には確立・分化しておらず、また、チャルキヤ朝歴代の王が、インド各地から工匠を集めていたことを意味しているとされる。755年、この地方を約2世紀にわたって支配してきたチャールキヤ朝も、自らの封臣であったラーシュトラクータ朝によって滅ぼされてしまった。それは、パッタダカルに続々とヒンドゥー教寺院が建設されたわずか10年後のことであった。


■アクセス
・ムンバイの南東約460キロメートルに立地する。
・ムンバイからショラープルへ行き、列車を乗り継ぐとバーダーミに到着する。バーダーミの東約30キロメートルに所在し、周辺には石灰石の岩山・渓谷・浸食による風変わりな岩壁の風景がある。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/06_pattadakal/pattada.htm">パッタダカルの寺院群（日本語）</a>


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   <title>ファテープル・シークリー</title>
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   <published>2008-08-08T17:37:09Z</published>
   <updated>2008-08-08T18:45:35Z</updated>
   
   <summary>ファテープル・シークリーの世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="268" label="アクバル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="242" label="ムガル帝国" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■<strong>ファテープル・シークリー</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1986年

<img alt="275px-Audienzhalle_.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Audienzhalle_.jpg" width="275" height="206" />
ファテープル・シークリー

■概要
ファテープル・シークリー（英語：Fatehpur Sikri）は、インド・アーグラの西約40kmのところにある、ムガル帝国第3代皇帝のアクバルが建てた都。当時、アクバルは跡継ぎに恵まれなかったが、この地に住むイスラム教の聖者が王子の誕生を予言し、翌年、その通りになったため記念としてここに新たな都を造りアーグラから遷都した。しかし、水不足と猛暑のため、わずか14年間（1574年〜1588年）しか使用されず廃墟となった。

遺跡群は1986年、世界遺産（文化遺産）に登録された。

■地図

<img alt="300px-Mughal.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Mughal.png" width="300" height="309" />
ムガル帝国の版図の変遷


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      <![CDATA[■<strong>アクバル</strong>
ジャラールッディーン・ムハンマド・アクバル（Jal&#257;l al-D&#299;n Muhammad Akbar：1542年11月23日〜1605年10月13日）は、ムガル帝国の第3代君主（在位：1556年〜1605年）。アラビア語で「偉大」を意味するアクバルの名にふさわしく、中央アジアからの流入者であった、祖父バーブルの立てたムガル朝を真に帝国と呼ばれるにふさわしい国家に発展させ、アクバル大帝（Akbar the Great）という名前でよく知られている。

<img alt="200px-Akbar1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Akbar1.jpg" width="200" height="267" />
アクバル1世


■観光
・<a href="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/post_61/">「アーグラ城塞」</a>を参照。


■アクセス
・<a href="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/post_61/">「アーグラ城塞」</a>を参照。


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   <title>ハンピの都市遺跡</title>
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   <published>2008-08-06T02:06:20Z</published>
   <updated>2008-08-06T03:24:51Z</updated>
   
   <summary>ハンピの都市遺跡の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="266" label="シヴァ神" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="264" label="ヴィジャヤナガル　ヒンドゥー教寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>ハンピの都市遺跡</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1986年

<img alt="200px-Hampi1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Hampi1.jpg" width="200" height="315" />
ハンピにあるヒンドゥー教寺院

■概要
ハンピー（Hampi）はインド南部カルナータカ州の村で、かつてのヴィジャヤナガル朝の首都であった。古名はヴィジャヤナガル（Vijayanagara・「勝利の都」）。現在は、遺跡北側を流れる川の旧名で呼ばれる。ハンピの都市遺跡（Group of Monuments at Hampi）は、1986年、世界遺産（文化遺産）に登録された。

<img alt="180px-Virupaksha_Temple_Map.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-Virupaksha_Temple_Map.jpg" width="180" height="286" />
ヴィルパークシャ寺院周辺の地図

ハンピは14世紀から16世紀にかけて、南インドのヒンドゥー教勢力が結束して成立したヴィジャヤナガル朝の王都であり、数多くの宮殿やヒンドゥー教寺院が造営されたが、16世紀半ばにイスラム勢力の略奪を受け廃墟と化した。現在は40ほどの遺跡が残っており、さまざまな神祠や望楼、柱廊や浴場、要塞なども散在している。

ハンピ北東端に所在するヴィッタラ寺院は、最大規模をほこり56本の石柱があり、広い列柱ホールの礼拝堂（マンタバ）をそなえている。

トゥンガバトラ川沿いにあるヴィルパークシャ寺院は、シヴァ神に献じられたもので、規模が大きく南インドに特徴的な寺院建築を伝える現役の寺院である。

1999年以降、遺跡保存に緊急性および特段の配慮を必要とするため、ユネスコの「危機にさらされている世界遺産」に指定されている。

■地図

<img alt="200px-India_Karnataka_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-India_Karnataka_locator_map_svg.png" width="200" height="226" />
カルナータカ州


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      <![CDATA[■ギャラリー

<img alt="120px-Karnataka_Hampi_IMG_0730.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Karnataka_Hampi_IMG_0730.jpg" width="120" height="90" />　　　　　<img alt="120px-Karnataka_Hampi_IMG_0727.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Karnataka_Hampi_IMG_0727.jpg" width="120" height="90" />

<img alt="120px-Karnataka_Hampi_IMG_0817.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Karnataka_Hampi_IMG_0817.jpg" width="120" height="90" />　　　　　<img alt="120px-Balakrishna_temple_DK.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Balakrishna_temple_DK.jpg" width="120" height="80" />

<img alt="120px-Karnataka_Hampi_IMG_0844.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Karnataka_Hampi_IMG_0844.jpg" width="120" height="90" />　　　　　<img alt="120px-Another_Hampi_Monument.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Another_Hampi_Monument.jpg" width="120" height="91" />


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/10_hampi/hampi.htm">ハンピの都市遺跡（日本語）</a>


<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />
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   <title>カジュラーホーの寺院群</title>
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   <published>2008-08-04T02:33:31Z</published>
   <updated>2008-08-06T02:05:58Z</updated>
   
   <summary>カジュラーホーの寺院群の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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   <category term="262" label="ジャイナ教寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="260" label="ヒンドゥー教寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>カジュラーホーの寺院群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1986年

<img alt="275px-Khajuraho7.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-Khajuraho7.jpg" width="275" height="184" />
ミトゥナ（交合）像

■概要
カジュラーホー（Khajuraho）は、インドのマッディヤ・プラデーシュ州の小さな村。首都デリーから南東に620kmの位置にある。

10世紀初頭から12世紀末ごろのチャンデーラ朝時代に、カジュラーホーでは、85ヶ所に及ぶ寺院が建設されたと考えられている。カジュラーホーの寺院群は、細い釣鐘状の塔の上部全体を「シカラ」と呼ぶ北方式の典型例を示している。現存しているのは25ヶ所のみで、東西約2キロ、南北約3キロの約6平方キロの範囲に分布し、2か所のヒンドゥー教寺院で構成される「南グループ」、ジャイナ教寺院が主体の「東グループ」、ヒンドゥー教寺院のみで構成され、もっともよく建造物が残存している「西グループ」の三つの寺院群にわけられる。

ヒンドゥー教寺院は、ヴィシュヌ派の寺院が主体となっている。またヒンドゥー教かジャイナ教かによって建築や彫刻に極端な差はほとんどみられず、ミトゥナ像（男女交合のエロティックな彫刻）を含む官能的なレリーフ群も共通して見られ、いずれも豊穣祈願が込められていると考えられている。

・名称について
カジュラーホーは、芸術的価値の高い彫刻を伴うヒンドゥー教及びジャイナ教の寺院群で、古くから「カジュラホ」の名で知られ、現在でも、ウェブ上の表記や各種書籍でもこの表記がもっとも通用している。ただし、標準ヒンディー語の発音にもっとも近い表記は「カジュラーホー」であり、最近のインド史関連の専門書でも「カジュラーホー」表記を使う傾向が強まりつつあるため、本記事でも「カジュラーホー」表記を採ることにした。

■地図

<img alt="200px-India_Madhya_Pradesh_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-India_Madhya_Pradesh_locator_map_svg.png" width="200" height="226" />
マッディヤ・プラデーシュ州


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      <![CDATA[■<strong>ヒンドゥー教寺院</strong>（西グループ）
カジュラーホーで最大とされる寺院は、西グループにあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院で、11世紀中葉に建設された。小高い基壇の上に「大拝堂」（マハー・マンダバ）、「拝堂」（マンダバ）と呼ばれる構造と、大シカラを上に載せるようにして「聖室」（ガルバグリハ）と呼ばれる構造がある。これらの建物の上はバルコニーと呼ばれていてシカラを支える石柱が建てられ、内部へ光を入れるようになっている。

石柱の上には細い釣鐘状のシカラ群がおり重なってそびえたっている。最大の大シカラは、砂岩で造られ、31mに達し、そっくり同じ形の84基の小シカラが大シカラを包み込むように造られている。シカラの壁面は細かな文様が施され、小シカラを支える柱状の構造の側面には、裸体の人物像がぎっしりと刻まれている。

また寺院の内部には、「繞道」（にょうどう）と呼ばれる礼拝対象である寺院本体を右に回って「拝観」するための通路があって、シカラの真下にあるバルコニー部分から入ってくる光によって、内部の彫刻を「拝観」できる仕組みになっている。カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院は、シヴァ神にささげられた寺院であり、林立するシカラは、シヴァ神が住むとされるカイラス山、もしくは、ヒマラヤ山脈を象徴していると考えられている。

ラクシュマナ寺院は、チャンデーラ朝のヤショーヴァルマン王によってヴィシュヌ神にささげる宮殿として、10世紀前半に建設され、東側に幅7m、奥行き12〜3mの張り出し部を持つアディスターナと呼称される長方形の基壇の上に建てられている五堂形式（パンチャーヤタナ）の寺院である。

<img alt="270px-Khajuraho_tempel_india.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-Khajuraho_tempel_india.jpg" width="270" height="175" />
カジュラホ・ラクシュマナ寺院（東正面）

アディスターナの本体は幅26ｍ、奥行きの長さ40ｍ、高さ2.7ｍであって、ラクシュマナ寺院本堂の手前の玄関に、列柱を設けた副祠堂が向かいあって建てられている。すなわち南東の副祠堂は北向きに、北東の副祠堂は南向きに建てられている。アディスターナの奥の二隅、すなわち北西、南西隅の副祠堂は、本堂と同じく東向きに配置されている。本堂は、パーパーガないしパーダ・パーガと呼称される小高い基壇の上に建てられ、西側の入口には、切り石積みの階段が設けられ、昇り始めは末広がりで広いが、昇るに従って狭くなっていく。本堂のシカラは、入口からだんだん高くなり最も高いシカラは、アディスターナの表面から23ｍに達する。副祠堂のシカラには、いずれも頂部にアーマラカという円盤状の構造が設けられている。副祠堂の外壁には、ヴィシュヌ神に関連する神話をテーマにした浮彫りが施されている。

<img alt="270px-Khajuraho6.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-Khajuraho6.jpg" width="270" height="403" />
カジュラホ・ラクシュマナ寺院

カジュラーホーで最も著名な寺院のひとつであるヴィシュヴァナータ寺院も、西グループに位置しており1002年に建設された。東西に連なるシカラは、東から西へ向かって段々に高くなるように造られている。シカラは、「聖室」や「拝堂」の上面の石柱によって支えられ、シカラの下のバルコニーと呼ばれる空間によって、あたかも空中に浮かんでいるような印象を与える。主としてシカラの下部に、男女の神々や、空想上・神話上の生き物、天女、ミトゥナと呼ばれる抱き合ったり性交しているような彫像が刻まれている。そして、繞道をめぐるバルコニーからの光によって、内部にある似たような彫像を「拝観」できる仕組みになっている。

<img alt="270px-Khajuraho11.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-Khajuraho11.jpg" width="270" height="181" />
カジュラホ・ヴィシュバナータ寺院


■<strong>ジャイナ教寺院</strong>（東グループ）
東グループにあるジャイナ教寺院のうち最大かつ有名なのは、10世紀中葉に、ジャイナ教の第23代祖師ティールタンカラにささげるために建設されたパールシュバナータ寺院である。シカラの下にある寺院本体の部分には、さまざまなポーズをした男女の立像が所狭しとばかりに刻まれ、花で自らを飾る女性、手紙を書く女性などから、交合像として知られる座位で性交する男女などがみられる。

<img alt="270px-Khajuraho5.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/270px-Khajuraho5.jpg" width="270" height="403" />
カジュラホ・パールシュバナータ寺院のシカラ（塔）


■アクセス
空路：カジュラーホー空港（Khajuraho Airport）があり、デリーから直接訪れることができる。
鉄道：隣州のジャーンスィー駅（Jhansi station）からバスで数時間。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/08_khajuraho/khajura.htm">カジュラーホの寺院群</a>（日本語）


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   <title>ゴアの教会群と修道院群</title>
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   <published>2008-08-02T18:11:25Z</published>
   <updated>2008-08-02T19:03:34Z</updated>
   
   <summary>ゴアの教会群と修道院群の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="256" label="教会群" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="258" label="修道院群" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/">
      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>ゴアの教会群と修道院群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1986年

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ゴアの地図

■概要
ゴア（ポルトガル語：Goa）は、インド西海岸の州である。16世紀から20世紀半ばまで、ポルトガル領インドの一部でありポルトガルのアジアにおける拠点であった。1986年には、聖フランシスコ・ザビエルの墓を収容するボム・ジェズ・バシリカや聖フランシス修道院など、ポルトガル時代のキリスト教建築が「ゴアの聖堂と修道院」としてユネスコ世界遺産に登録された。

ゴアはインド西海岸中部のマンドウィー河の河口にある島に位置し、天然の良港を有する。16世紀初めには、イスラーム王朝のビジャープル王国の重要都市であった。1510年2月、ポルトガルのインド総督アフォンソ・デ・アルブケルケが1,000人のポルトガル兵を率いて来航し、この都市を降伏させた。しかし、ゴアの要塞が老巧化しており使えなかったため、同年5月にビジャープル王国のスルタンが50,000の兵を率いて攻撃してくると一旦引き上げた。アフォンソ・デ・アルブケルケは、ポルトガル本国からの増援が到着すると、同年11月2,000のポルトガル兵によってゴアを再び陥落させた。ビジャープルのスルタンは、何度もゴアを攻撃したが奪回できなかった。1512年には、ゴア要塞へ通じる水路を制するベナステリム要塞を奪取し、ゴアに病院といくつかの教会を建設した。

■地図

<img alt="200px-India_Goa_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-India_Goa_locator_map_svg.png" width="200" height="226" />
インド国内の位置


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      <![CDATA[■黄金のゴア
1530年、ポルトガル領インドの首府はコーチンからゴアに移され、アジアの全植民地を統治するポルトガルのインド総督あるいはインド副王が駐在した。ゴアとリスボンの間には、喜望峰経由の定期航路が開かれ多くのポルトガル人をアジアに送り出し、アジアの富をポルトガルに持ち帰った。1534年にはローマ教会の大司教座が設置され、ローマ教会において全アジアを管轄する中心となり、これを機にサンタ・カタリナ大聖堂が建設された（1562年〜1619年）。17世紀初頭のゴアは、モザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として、「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。当時のゴアの人口は20万人に達し、市内には壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並んで、ヨーロッパの都市にも引けを取らなかったとされる。


■ポルトガル支配の衰退とインドによる併合
17世紀にアジアに進出したオランダがポルトガル船を拿捕したり、マラッカなどポルトガル植民地を奪取すると、ポルトガルの海上覇権は次第に衰えていった。しかし、オランダはゴアを何度も包囲したが、ゴアを陥落させることはできなかった。その後、イギリスがインドに植民地帝国を建設した時も、ポルトガルはゴア、ディーウ、ダマンなどの都市の領有を保持した。

第二次世界大戦においてポルトガルは中立国の立場をとったため、ゴアは東アフリカのモザンビーク植民地のロレンソ・マルケスとともに、抑留されていた交戦国民の交換船による交換地となった。

1947年、インドがイギリスから独立するとインド政府はポルトガルにも領土の返還を求めたが、当時のアントニオ・サラザール独裁政権は応じなかった。このため、1961年インド国民軍がポルトガル領に武力侵攻し、インドにおけるポルトガルの植民地支配はようやく終結した。


■現在のゴア
インドによるゴア併合は、ソビエト連邦の反対により国連安保理では受け入れられなかったが、多くの国が植民地独立の一つとして支持し、1974年、カーネーション革命を経てポルトガルは公式に主権を放棄した。1987年にパナジを首府とするゴア州が設置された。2001年現在の州の人口は135万人である。州内では英語やコンカニー語などが使用されているが、ポルトガル語を話す住民も30,000から50,000人程度存在する。

ポルトガル植民地時代の建物と文化が残っており、リゾート地として国内外の観光客を集めている。この地の音楽から生まれたゴアトランスは、サイケデリックトランスとして世界に広まった。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/16_goa/goa.htm">ゴアの聖堂と修道院</a>（日本語）


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   <title>ケオラデオ国立公園</title>
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   <published>2008-08-01T21:02:17Z</published>
   <updated>2008-08-01T23:09:54Z</updated>
   
   <summary>ケオラデオ国立公園の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="254" label="希少種" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="253" label="絶滅危惧種" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>ケオラデオ国立公園</strong>（ケオラデオ　こくりつこうえん）
・登録区分　自然遺産 
・登録年　　 1985年

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クロヅル

■概要
ケオラデオ国立公園（またはケオラデオ・ガナー国立公園）は、インド・ラージャスターン州にある国立公園で、かつてはバラトプル鳥類保護区として知られていた。ここを、ソデグロヅルのような絶滅危惧種や希少種が越冬地として過ごす。ここには230種以上の鳥類が生息しており、冬季には鳥類学者が訪れる場所であり、一大観光地でもある。1971年保護区となり、1981年ラムサール条約登録湿地、1982年国立公園となる。そして、1985年にはユネスコの世界遺産に登録された。

公園内では、希少なソデグロヅルのうち少数の個体群が越冬する。他の種としては、アカツクシガモ・カモメ・ハシビロガモ・オナガガモ・オオバン・シマアジ・キンクロハジロ・ホシハジロが挙げられる。

■地図

<img alt="288px-India-locator-map-blank_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/288px-India-locator-map-blank_svg.png" width="288" height="336" />


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      <![CDATA[■歴史
この公園の原型が作られたのは18世紀の半ば頃のことである。名前は、この地域にあるシヴァ神を祀ったケーオラーデーオ寺院にちなむ。当初この地は天然の窪地に過ぎなかったが、1726年から1763年まで、バラトプルのマハラジャ（領主）であったスーラジ・マル（Suraj Mal）によって堤防が築かれ水で満たされた。堤防はガンビール（Gambhir）とバーンガンガー（Banganga）と言う2つの川の合流点に作られた。やがて鳥たちが集まるようになり、マハラジャがこの地で狩猟をすることが1850年頃からの伝統となった。

そして英国統治下のインドにおいては、総督に対する儀礼として毎年鴨猟が催された。当時のインド総督であったリンリスゴー卿（Lord Linlithgow）などは、一人で1年の間に少なくとも4,273羽ものマガモやコガモといった鳥を撃ち殺している。インド独立後、1972年までマハラジャはこの地で狩猟をする権利を認められた。1982年には公園内でこれまで認められてきたバッファローの放牧が禁止された。このため地元農民と下層カーストであるグージャル（Gujjar）の人々、そして政府との間で、死亡者が出るほどの激しい衝突に至った。

2004年の終わり頃には、ヴァスンダラー・ラージェー（Vasundhara Raje）が首相を務めるラージャスターン州政府は、水を公園内に流入させることを阻止することを要求する農民からの圧力に屈した。これにより公園内への水の供給は15,000,000m&sup3;から510,000m&sup3;まで減少した。その結果この湿地は乾いて荒れ果ててしまい、生態学的災害ともいえる状態に陥った。そして大半の鳥たちは繁殖のために、ニューデリーから90kmのところにあるウッタル・プラデーシュ州ガルムクテーシュワル（Garhmukteshwar）を流れるガンジス川まで飛び去ってしまった。この行為は主要な環境保護論者達によって批判された。そして公益訴訟として裁判所に提訴されるに至った。


■ギャラリー

<img alt="120px-Ruddy_Shelduck_%2528Tadorna_ferruginea%2529-_Female_at_Bharatpur_I_IMG_5336.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Ruddy_Shelduck_%2528Tadorna_ferruginea%2529-_Female_at_Bharatpur_I_IMG_5336.jpg" width="120" height="86" />　　　<img alt="120px-Indian_Courser_%2528Cursorius_coromandelicus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5437.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Indian_Courser_%2528Cursorius_coromandelicus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5437.jpg" width="120" height="92" />　　　
アカツクシガモ　　　　　　　インドスナバシリ

<img alt="120px-Eurasian_Spoonbill_%2528Platalea_leucorodia%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5670.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Eurasian_Spoonbill_%2528Platalea_leucorodia%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5670.jpg" width="120" height="93" />　　　<img alt="120px-Glossy_Ibis_%2528Plegadis_falcinellus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5384.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Glossy_Ibis_%2528Plegadis_falcinellus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5384.jpg" width="120" height="95" />　　
ヘラサギ　　　　　　　　　　　ブロンズトキ　　　　　　　　　　

<img alt="120px-Spotted_Owlet_%2528Athene_brama%2529-_Pair_in_Foreplay_at_Bharatpur_I_IMG_5472.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Spotted_Owlet_%2528Athene_brama%2529-_Pair_in_Foreplay_at_Bharatpur_I_IMG_5472.jpg" width="120" height="97" />　　　<img alt="120px-Intermediate_Egret_%2528Mesophoyx_intermedia%2529-_In_Breeding_plumage_at_Bharatpur_I_IMG_5353.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Intermediate_Egret_%2528Mesophoyx_intermedia%2529-_In_Breeding_plumage_at_Bharatpur_I_IMG_5353.jpg" width="120" height="99" />
インドコキンメフクロウ　　チュウサギ

<img alt="120px-Dusky_Eagle_Owl_%2528Bubo_coromandus%2529_at_nest_at_Bharatpur_I2_IMG_5324.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Dusky_Eagle_Owl_%2528Bubo_coromandus%2529_at_nest_at_Bharatpur_I2_IMG_5324.jpg" width="120" height="111" />　　　<img alt="120px-Sambar_Deer_Keoladeo_NP.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Sambar_Deer_Keoladeo_NP.jpg" width="120" height="99" />
ウスグロワシミミズク　　　サンバー

<img alt="98px-Brown-headed_Barbet_%2528Megalaima_zeylanica%2529-_Preening_at_Bharatpur_I_IMG_5300.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/98px-Brown-headed_Barbet_%2528Megalaima_zeylanica%2529-_Preening_at_Bharatpur_I_IMG_5300.jpg" width="98" height="120" />　　　　　　<img alt="120px-Red-wattled_Lapwing_%2528Vanellus_indicus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5511.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Red-wattled_Lapwing_%2528Vanellus_indicus%2529_at_Bharatpur_I_IMG_5511.jpg" width="120" height="115" />
ミドリオオゴシキドリ　　　　インドトサカゲリ

<img alt="103px-Eurasian_Golden_Oriole_%2528Orilus_orilus%2529-_Male_at_Bharatpur_Im_IMG_5319.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/103px-Eurasian_Golden_Oriole_%2528Orilus_orilus%2529-_Male_at_Bharatpur_Im_IMG_5319.jpg" width="103" height="120" />　　　　　<img alt="120px-Grey_Heron_%2528Ardea_cinerea%2529-_Immature_at_Bharatpur_I_IMG_5716.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Grey_Heron_%2528Ardea_cinerea%2529-_Immature_at_Bharatpur_I_IMG_5716.jpg" width="120" height="120" />
ニシコウライウグイス　　　アオサギ


■外部リンク
・<a href="http://www.kolkatabirds.com/bharatpur.htm">Water Birds of India</a>（英語）


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   <title>マハーバリプラムの建造物群 </title>
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   <published>2008-07-24T03:07:20Z</published>
   <updated>2008-07-30T15:49:24Z</updated>
   
   <summary>マハーバリプラムの世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
   </author>
         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="247" label="パッラヴァ朝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="248" label="岩壁彫刻" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="236" label="石窟寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="252" label="石造寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="250" label="石彫寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/">
      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>マハーバリプラムの建造物群</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1985年

<img alt="275px-MamallapuramStoneCarvings.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-MamallapuramStoneCarvings.jpg" width="275" height="196" />
磨崖彫刻「ガンガーの降下」の一部

■概要
パッラヴァ朝のマーマッラ王やその後裔は、貿易港であったマハーバリプラム（マーマッラプラム）の海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残した。花崗岩の岩山を掘削した石窟寺院、牧歌的な趣きのある岩壁彫刻や石彫寺院、また、最初期の石造寺院である石積みの「海岸寺院」など、インド中世建築発祥の地のひとつとしてきわめて重要であり、1985年には世界遺産の文化遺産に登録された。ことに、当時の木造寺院を模して、壁面にライオンや象などが刻まれた「5つのラタ」と呼ばれる一連の石彫寺院は特異な遺跡として名高い。

・<strong>マハーバリプラム</strong>
マハーバリプラム（Mahabalipuram・タミル語）は、インド南部のタミル・ナードゥ州カーンチプラム県に所在し、ベンガル湾に臨むかつての港湾都市。古名は、マーマッラプラム。チェンナイ（マドラス）の南約60キロメートルに位置する。

・東西貿易の拠点−マハーバリプラム
4世紀から9世紀にかけて、内陸のカーンチプラムにはパッラヴァ朝の首都がおかれていた。その東65キロメートルに位置し、ベンガル湾に臨むマハーバリプラムは、6世紀以降、パッラヴァ朝における東西貿易の一大拠点として栄え、町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。

<img alt="210px-Mahabalipuram.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/210px-Mahabalipuram.jpg" width="210" height="158" />
マハーバリプラムの海岸

この建築様式は、タミル商人たちによってスリランカ（セイロン島）や東南アジア各地にまで伝えられた一方、軍事的にはパッラヴァ朝と対立したデカン高原の前期チャールキヤ朝の建築、とくにパッタダカルのヒンドゥー建築にも大きな影響をあたえた。

■地図

<img alt="235px-Tamil_Nadu_locator_map_svg.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/235px-Tamil_Nadu_locator_map_svg.png" width="235" height="292" />


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      <![CDATA[■<strong>石窟寺院</strong>
かつて貿易港として繁栄した海岸沿いの花崗岩台地には、10を超える石窟寺院が残っている。いずれも小規模であるが、ヴァラーハ・マンダパ窟、マヒシャマルディニー・マンダパ窟、トルムールティ窟、アーディ・ヴァラーハ窟は、建築・彫刻ともきわめて優れているとされる。なお、石窟寺院建築には未完成の状態で建造を中止したものがいくつか散見される。

<img alt="150px-Mahishasuramarthini_Mandapam-1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/150px-Mahishasuramarthini_Mandapam-1.jpg" width="150" height="200" />
マヒシャマルディニー・マンダパ窟

石窟寺院の柱は初め太い角柱であったが、しだいに細くなり、柱脚にはパッラヴァ朝のシンボルでもあるライオンが彫られるようになるという変遷が認められる。後世には、立ち上がった姿勢を示すライオン柱であるが、マハーバリプラムでのライオンはまだ座った姿をしている。


■<strong>岩壁彫刻</strong>
岩壁彫刻は、浮彫（レリーフ）の手法が採られ、マヒシャマルディニー・マンダパ窟には、シヴァの妃で8本の腕をもつドゥルガー女神がライオンの背に乗り、水牛の姿をしたアスラの首領マヒシャを退治する場面を表現したものがあり、また、ヴァラーハ・マンダパ窟の「ガジャ・ラクシュミー」も浮彫の傑作である。

<img alt="250px-Chute-du-Gange.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Chute-du-Gange.jpg" width="250" height="165" />
ガンガーの降下（または「アルジュナの苦行」）

磨崖彫刻では、高さ9メートル・幅27メートルの岩山に彫られた「ガンガーの降下」があり、石を彫ったレリーフとしては世界最大の規模を誇る。この彫刻にはもうひとつ解釈があり、インド最大の叙事詩『マハーバーラタ』のなかの「アルジュナの苦行」の場面を描いたとするものである。磨崖彫刻には他に、クリシュナ・マンダパにも「ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ」があり、華奢で柔らかい群像が描かれた傑作とされる。


■<strong>石彫寺院</strong>（ラタ）
堂の全体を岩の塊から彫出した岩石寺院を、現地では「ラタ」と呼んでいる。マハーバリプラムの「パンチャ・ラタ」（5つのラタ）とは、ドラウパディー・アルジュナ、ビーマ・ダルマラージャ・サハデーヴァであり、それぞれ『マハーバーラタ』の主要な登場人物の名にちなんで命名されている。

<img alt="250px-Rathas-Mahabalipuram.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Rathas-Mahabalipuram.jpg" width="250" height="169" />
ビーマ・ラタとアルジュナ・ラタ

いずれも、屋根の装飾から壁面の彫刻、門柱に至るまできわめて精緻につくられており、また、上述したとおり、当時の南インドの木造寺院を模したものであることから、南インド7世紀の古建築の様相を伝えるものとして資料的価値もきわめて高い。19世紀に発掘された特異な遺跡である。


■<strong>石造寺院</strong>
7世紀末葉から8世紀初頭にかけて海辺に建てられた「海岸寺院」は切石を積んで建立した石造寺院で、中期ラージャシンハ・ナンディヴァルマン様式に属するとされる。他の遺跡や遺構は7世紀中期から後期にかけてが多く、7世紀前半にさかのぼるものも若干存在する。

<img alt="250px-Mamallapuram.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Mamallapuram.jpg" width="250" height="213" />
海岸寺院

つまり、マハーバリプラムのなかでは新しい年代に属する。大小2つの南方型に属するヴィマーナが並んで建ち、いずれも頂部に半球状の冠石をいただいている。潮風や波浪による浸食作用により、損傷や崩壊が危ぶまれている。


■建造物群の示すもの
マハーバリプラムの建造物群は、石窟を中心とする古代から石造を主とする中世への建築史上の転換がみられる点が注目される。上述の、石窟寺院が未完成のまま残されていることは、その間の事情を示すものと考えられる。建造物群は、同一箇所において、石窟寺院、石彫寺院、石造寺院の順で推移したことを示し、また、この地域が南インドのヒンドゥー建築を主導していた地域であったことをも示す点できわめて重要な資料となっている。


■ギャラリー

<img alt="120px-India_-_Temples_%2526_Towers_-_019_-_Mamallapuram_-_Krishna%2527s_Butterball.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-India_-_Temples_%2526_Towers_-_019_-_Mamallapuram_-_Krishna%2527s_Butterball.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="120px-Boule_de_beurre_Mah%25C3%25A2ballipuram.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Boule_de_beurre_Mah%25C3%25A2ballipuram.jpg" width="120" height="90" />
クリシュナのバターボール

<img alt="120px-Mamallapuram_Five_Rathas.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Mamallapuram_Five_Rathas.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="120px-Mamallapuram_Dharmaraja_Ratha.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Mamallapuram_Dharmaraja_Ratha.jpg" width="120" height="90" />
5つの石彫寺院「ラタ」　　ダルマラジャ・ラタ

<img alt="120px-Pancha_Rathas_Elephant_in_Mamallapuram.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Pancha_Rathas_Elephant_in_Mamallapuram.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="120px-Shore_Temple.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Shore_Temple.jpg" width="120" height="90" />
ラタに付属する象の像　　夕暮れの「海岸寺院」

<img alt="120px-Mahabalipuram-beeldhowwerk.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Mahabalipuram-beeldhowwerk.jpg" width="120" height="90" />　　　<img alt="86px-Ganga_Mahabalipuram2.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/86px-Ganga_Mahabalipuram2.jpg" width="86" height="119" />
「ガンガーの降下」　　　　「ガンガーの降下」（部分）


■アクセス
・チェンナイ（マドラス）の東約60キロメートル、バスで約2時間。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/05_mahabali/mahabali.htm">マハｰバリプラムの建築と彫刻群（日本語）</a>
・<a href="http://mamalla.blog25.fc2.com/">ママラブログ〜インド、ベンガル湾に臨む村から〜</a>


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   <title>タージ・マハル</title>
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   <published>2008-07-22T07:52:34Z</published>
   <updated>2008-08-08T19:03:25Z</updated>
   
   <summary>タージ・マハルの世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="245" label="アーグラ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="242" label="ムガル帝国" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■タージ・マハル
登録区分　文化遺産
登録年　　 1983年

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タージ・マハル

■概要
タージ・マハル（Taj Mahal）は、インド北部アーグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年にユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されている。

ムガル帝国・第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれている。インド＝イスラーム文化の代表的建築。

名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。

■地図

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      <![CDATA[■構造
タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン（紅玉髄）はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。

<img alt="200px-B6a_agra700.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-B6a_agra700.jpg" width="200" height="128" />
タージ・マハルの門

およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門（ダルワーザー）、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園（バギーチャー）、西側のモスク（マスジド）、東側の迎賓施設（ミフマーン・カーナー）、そして高さ42mの4本の尖塔（ミナレット）を従える墓廟（マウソレウム）である。

<img alt="200px-Taj_Mahal_shoe_cabinet.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Taj_Mahal_shoe_cabinet.jpg" width="200" height="150" />
基壇への入口付近

マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角・高さ7mの基壇の上に載せられている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。


■歴史
シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルの死（1630年）を悼んで建設した霊廟である。竣工してまもなく、シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に黒大理石を基調とした自身の墓廟の建設に着手した。計画では、川をはさんで白大理石と黒大理石の墓廟が並び、その間を大理石の橋で繋ぐ事になっていた。しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられている。対岸には、現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡し船で行く事ができる。

もっとも、その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという通説が流布されているが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガール帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。死後は、ムムターズ・マハルの隣に葬ることをアウラングゼーブ帝に認められたため、現在タージ・マハルには、シャー・ジャハーン帝とムムターズ・マハルの棺が並べて安置されている。


■環境問題
近年、大気汚染によるタージ・マハルの損傷が問題化している。排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されている。地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、四本の尖塔が外側に傾きつつあるとの報告もある。開発による世界遺産への悪影響の顕著な例である。


■観光
年間400万人（うち外国人は20万人）の観光客が訪れる。環境保護のため付近への車両の乗り入れが禁止されており、駐車場から入口までは歩くか電動自動車に乗り換えねばならない。また、保安上の理由で大きな荷物は入口で預ける必要がある。

詳細は、<a href="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/post_61/">「アーグラ城塞」</a>を参照。


■アクセス
・<a href="http://www.tokutoku21.net/archives/cat6/post_61/">「アーグラ城塞」</a>を参照。


■ギャラリー

<img alt="120px-Taj1.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Taj1.jpg" width="120" height="103" />

<img alt="120px-TajGardenWide.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-TajGardenWide.jpg" width="120" height="77" />　　　<img alt="120px-Taj_4_agost_05.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Taj_4_agost_05.jpg" width="120" height="80" />


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/15_tajmahal/taj.htm">タージ・マハル廟</a>（日本語）


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   <title>アーグラ城塞</title>
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   <published>2008-07-21T10:50:17Z</published>
   <updated>2008-10-09T15:59:01Z</updated>
   
   <summary>アーグラ城塞の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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         <category term="インドの世界遺産" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="242" label="ムガル帝国" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="243" label="赤い城" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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■アーグラ城塞（アーグラ　じょうさい）
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1983年

<img alt="200px-Agra_Fort_Rempart.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/200px-Agra_Fort_Rempart.jpg" width="200" height="150" />
アーグラ城塞

■概要
アーグラ城塞（Agra Fort）は、インドのアーグラにあるムガル帝国時代の城塞。赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」（ラール・キラー）の名がある。デリーの帝国時代の城塞も同じく「赤い城」と呼ばれるので注意が必要である。

<img alt="230px-AgraFortIndia01.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/230px-AgraFortIndia01.jpg" width="230" height="173" />
白大理石でできたムサンマン・ブルジュ

デリーからアーグラへの遷都に伴い、1573年に皇帝アクバルによって築かれた。その後、ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。アウラングゼーブが後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」（ムサンマン・ブルジュ）に幽閉してデリーに移った。

1983年にユネスコの世界遺産に登録された。

<img alt="180px-AgraFort.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/180px-AgraFort.jpg" width="180" height="240" />
アーグラ城塞

・ムガル帝国
ムガル帝国は、モンゴロイド系の王朝として歴史上初めて、1526年からインド南部を除くインド亜大陸を支配し、1858年まで存続したイスラム王朝。

中央アジア出身で、ティムール朝の王族ウマル・シャイフ・ミールザーを父、チンギス・ハーンの次男チャガタイを祖とするモグーリスタン・ハン家の王女クトルグ・ニガール・ハーニムを母、とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族バーブルを始祖とし、彼が現在のアフガニスタンからインドに移って建国した。

王朝名の「ムガル」とは、モンゴル人を意味するペルシア語の「ムグール」（モゴール・Mugh&#363;l）の短縮した読みであるムグル、ムガル（Mughul・Mughal）が転訛したもので、最近ではこのことからムガル朝とも言う。

すなわち、「ムガル帝国」とは「モンゴル人の帝国」というほど意味の国名になるが、これは飽くまでも他称であり、ムガル帝国では最後の君主バハードゥル・シャー2世の治世まで一貫してティムールを始祖と仰いでおり、ティムールの称号「アミール・ティームール・グーラカーン」、すなわち「グーラカーン・G&#363;rak&#257;n」（チンギス・ハーン家より子女の降嫁を受けたその娘婿「グレゲン・G&uuml;regen 、キュレゲン・K&uuml;regen」であるアミール・ティムールの一門という意味で、自らは、G&#363;rak&#257;n&#299; などと呼んでいた。

ちなみに、ムガル帝国の成立までチンギス・ハーン以来モンゴル人によってインダス川流域やカシミール地方から度々侵入を受けたが、インドの諸政権は領土的な支配を許していない。

■地図

<img alt="300px-Mughal.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/300px-Mughal.png" width="300" height="309" />
ムガル帝国の版図の変遷


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      <![CDATA[■観光
世界的に知られるタージ・マハルのほか、ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建てたアーグラ城塞、ファテープル・シークリーと３つのユネスコ世界遺産に登録された遺跡がある。

・タージ・マハル（The Taj Mahal）：世界遺産に登録されているムガル帝国王妃の白亜の霊廟。ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンによって建立。

・アーグラ城塞（Agra Fort）：ムガル帝国の栄光と権力を象徴する美しい城塞。ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建設開始し、その後18世紀初頭まで建設が続けられた。赤砂岩で囲まれた城塞の中には、宮殿などの諸施設が建てられた。タージ・マハルの建設を命じたシャー・ジャハーンが7年間幽閉されていた囚われの塔（ムサンマン・ブルジュ）も、城壁の中にある。世界遺産に登録されている。

・ファテープル・シークリー（Fatehpur Sikri）：ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建てた首都宮城。14年間あまりここで政事を行った。世界遺産に登録されている。

・エーテマードゥ・ッ・ドウラー廟（Itmad-Ud-Daulah's Tomb）：ムムターズ・マハルの祖父、宰相ミルザー・ギヤース・ベーグ（敬称エーテマードゥ・ッ・ドウラー　「国家の拠り所」の意）のために1622年に建てられた白大理石の霊廟。

・シカンドラ（Sikandra）：アーグラ郊外北西10kmにある城。1492年、シカンダル・ローディによって首都宮城として建てられたが、その後ムガル帝国のアクバルの霊廟だけが残された。この霊廟は1613年建立。


■アクセス
・アーグラ空港（Agra Airport）：ケーリアー空港（Kheria Airport）とも呼ばれ、市内より9kmに位置する国内線専用空港。IATAコード：AGR・ICAOコード：VIAG。インディアン航空がデリー、カジュラーホー、ワーラーナシーからのフライトを就航している。

・アーグラ・カント駅（Agra Cantt Railway Station）：鉄道のメインの駅。デリーからの「シャターブディー急行」・「タージ・エクスプレス」などが着く。

・アーグラ・フォート駅（Agra Fort Railway Station）：アーグラ城塞のすぐそばにある駅。コルカタやワーラーナシーからの列車などが着く。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/13_agra/agra.htm">アーグラの赤い城</a>（日本語）


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   <title>エローラ石窟群</title>
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   <published>2008-07-17T14:59:15Z</published>
   <updated>2008-07-21T12:53:21Z</updated>
   
   <summary>エローラ石窟群の世界遺産</summary>
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      <name>大地</name>
      
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   <category term="240" label="ジャイナ教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="238" label="ヒンドゥー教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="236" label="石窟寺院" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="93" label="仏教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      <![CDATA[<img alt="50px-WHProj_Logo_80x80.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/50px-WHProj_Logo_80x80.png" width="50" height="50" />

■<strong>エローラ石窟群（エローラ　せっくつぐん）</</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1983年

<img alt="250px-Ellora_cave16_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/250px-Ellora_cave16_001.jpg" width="250" height="167" />
カイラサナータ寺院（第16窟）

■概要
エローラ石窟群（Ellora caves）は、ムンバイーの東・アウランガーバード郊外の世界的に有名な石窟群である。エローラ石窟寺院群とも言う。 エローラ石窟寺院群は、世界遺産の中でも最も印象的な遺跡の一つである。

エローラは、インドのマハーラーシュトラ州・アウランガーバードから30Kmほど離れた村である。（現地ではエーローラーとも発音する）ここに世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。 このエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群は、その典型的な遺跡として知られている。 エローラ石窟寺院郡は、アンコール・ワットやピラミッドと並び、世界遺産の中でも最も印象的な遺跡の一つである。

34の石窟がシャラナドリ台地（Charanandri hills）の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教の石窟寺院や修道院（僧院・僧坊）などから構成されている。

仏教寺院（仏教窟）の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院（ヒンドゥー教窟）は、第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院（ジャイナ教窟）となっている。 それぞれ石窟は近接している上に、作られた時期も重なっており、これらの事実はインドにおける宗教の寛容性を表していると言えるだろう。

■地図

<img alt="275px-LocMap_of_WH_Ellora_Caves.png" src="http://www.tokutoku21.net/images/275px-LocMap_of_WH_Ellora_Caves.png" width="275" height="255" />


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      <![CDATA[■エローラに見られる精神史
石窟寺院群は、南西方向に面した崖に掘られている。 東に掘られているものほど古く、西に行くほど新しい。 東のものはほとんど仏教石窟で、中央付近のものはヒンドゥー教、西の方のものはジャイナ教の石窟寺院となっている。 年代も、仏教の石窟がもっとも古く、次にヒンドゥー教、ジャイナ教の順で新しくなっていく。 仏教の石窟寺院はまさに石窟で、狭い導入部と広い奥の空間という構造のものが多い。

ヒンドゥー教の石窟寺院は、初期のものは仏教石窟と同じような構造をしているが、中期のものは複数の入り口や窓が設けられ、いくらか開放的になっている。 さらに後期のものになると、完全に掘り下げられて広間が中庭状になっていたりする。 カイラーサナータ石窟寺院にいたっては神殿そのものが完全に外部に露出してしまっている。

ジャイナ教の石窟寺院はヒンドゥー教後期の様式を真似ている。 外部に露出した神殿もある。石窟は小規模だが装飾が多く、それぞれの石窟は連結されており、活動的な雰囲気が感じられる。

このようにエローラの石窟寺院は、概して新しくなるほどその様式が外部に開放的になっていくが、それはそのまま人間の精神史を表している、とも言われている。 初期の仏教は己の救済だけ追及する内向的な思想であったという。 そのため瞑想室のような閉空間を必要とした。 時代が下がるにつれ、徐々に宗教は大衆を救う大乗的なものに変化し、それにつれて石窟寺院も開放的になっていく。 ついには石窟そのものが必要なくなりエローラは放棄された、と言われている。

<img alt="120px-CRW_2758_RJ.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-CRW_2758_RJ.jpg" width="120" height="80" />
仏教石窟（初期）

<img alt="80px-Ellora_cave12_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/80px-Ellora_cave12_001.jpg" width="80" height="120" />　　　　　<img alt="80px-Ellora_cave16_004.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/80px-Ellora_cave16_004.jpg" width="80" height="120" />
ヒンドゥー教石窟　　　カイラーサナータ寺院（後期）
（中期・第12窟）　　


■<strong>仏教石窟</strong>
エローラ石窟寺院群でもっとも古い時代のものが仏教の遺構で、それらは5世紀から7世紀の間に作られた。 近隣にあるアジャンター石窟群の仏教窟と同様に、エローラの仏教窟にも二種類の石窟がある。 一つはヴィハーラ窟で、エローラの仏教窟の大半がこの様式である。 ヴィハーラ窟は日本語でいう僧房や僧院のことで、修行僧がここで生活しながら瞑想を行なった。 ヴィハーラ窟には瞑想室を中心として庫裏（台所）・寝室などの付帯設備が作られている。 付帯設備が多いためヴィハーラ窟は階層構造となっている大きな窟が多い。

もう一つは仏塔（堂塔）のあるチャイティヤ窟である。 チャイティヤ窟は、菩薩と聖者を従えた仏陀の像が掘られている。今でいう仏殿や本堂である。

初期・中期のチャイティヤ窟は最奥部に仏間があり、仏間の中央に仏像（大半が釈迦像と思われる）が彫られている。 中央の仏像の周囲には、各種の菩薩像や天女が彫られている。 これらの仏像は雑然と並んでおり、いささかグロテスクである。 現在の日本のお寺でよく見られるような幾何学的な配置はしていない。 日本では法隆寺五重塔の初重内陣にある涅槃像や、入滅の場面の彫像群に同じような意匠を見ることが出来る。

後期のものは、吹き抜けのようなホールがあり最奥部にストゥーパを背にした仏像が安置されている。ヴィハーラ窟にしてもチャイティヤ窟にしても、もともとは木造である僧院と仏殿を模範としているので、石窟の内部には木造構造を模した柱や梁が彫られている。

第10窟はヴィシュヴァカルマ窟（Visvakarma）といい、一般的には大工の石窟と言われ、仏教石窟の中でもっとも有名な石窟である。 第10窟はチャイティヤ窟で、仏教石窟の中では最後期のものである。 この窟の天井の高いホールに入ると、奥にあるストゥーパが目に入る。 暗さに目が慣れると肋骨のような彫刻に覆われた天井に気が付くだろう。 あたかも大聖堂のような壮麗さである。 ストゥーパを背にして、高さ15フィートの説法をする仏陀の像が鎮座している。

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第10窟


■<strong>ヒンドゥー教石窟</strong>
ヒンドゥー教石窟は7世紀頃から作られ始めた。 これらのヒンドゥー教石窟は、掘削技術と美術的観点の二つの面からいくつかの異なる様式を見出すことができる。 これらの石窟は上から下に掘られているものが多い。 いくつかの石窟寺院は非常に複雑で、その完成には数世代の期間を要したと思われる。

第16窟はカイラーサナータ寺院（Kailasanatha Temple）、あるいはカイラーサ寺院(Kailasa Temple)と呼ばれ、エローラで最も重要な石窟寺院である。 エローラすなわちカイラーサナータ寺院と思っている人もいるほどエローラを代表する石窟である。

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中央寺院の土台は象の彫刻が支える（第16窟）

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中央寺院は空中回廊によって結ばれている（第16窟）

この巨大な『彫刻』は、ラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ１世（756年〜775年）の命により、カイラス山（須弥山・ヒンドゥー教ではシヴァ神が住むとされる）をイメージして掘られたものと考えられている。クリシュナ１世は、パッタダカルのバーダーミのチャールキヤ朝の建築をモデルにしつつ、岩山から寺院を彫りだすアイディアは、パッラヴァ朝のマハーバリプラムの「ラタ」にヒントを得て、それを凌駕しようとする寺院を造り出すことでシヴァ神を祀り、王朝の権威を示そうとするものであった。

カイラーサナータ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があり、石窟と言うより一つの高層建築物にしか見えないが、紛れもなく一つの岩から掘られたものである。 カンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボロブドゥール遺跡も同じくカイラス山をイメージして作られたものだと言われている。

全ての彫刻は2階以上の階層にある。2階層の出入り口はU型の中庭になっている。 その中庭は彫刻のある3階層の回廊によって縁取られている。 その回廊は巨大な彫刻パネルによって区切られおり、それは様々な神の巨大な彫刻を含む一つの女性器像になっている。 もともとこの回廊は、中央の寺院といくつかの空中回廊によって結ばれていた。 これらの空中回廊は、今は崩れて無くなっている。

この中庭には二つの巨大彫刻がある。 一つは伝統的なシヴァ寺院によく見られるように、神聖な雄のナンディー（Nandi・シヴァの乗り物である牝牛）の像が中央寺院のリンガに面するようになっている。 第16窟では、このナンディー・マンダプ（Nandi Mandap）と中央寺院（シヴァ寺院）はそれぞれ約7mの高さがあり、2つの階層により構成されている。 ナンディー・マンダプの低い方の階層は2重構造をしており、精巧で絵画的な彫刻により装飾されている。 寺院の土台は象が建物を支えているような彫刻になっている。

岩の空中回廊は、ナンディー・マンダプと中央寺院の玄関を結んでいるものだけが現存している。 中央寺院は南インドでよく見られるピラミッド型の構造をしている。 神殿は列柱・窓・内室と外室・階段状のホール・巨大なリンガを備えている。 そして、小室・壁・窓・神像の収められた神棚、ミトゥナ（Mithunas・ エロチックな男女像）、その他の像などが岩を掘り出すことによって作られ、空間を埋めつくしている。 さらに、入り口の右側にはヴィシュヌ派の信者（Vaishnavaites）、左にはシヴァ派の信者（Shaivaite）の象が作りこまれている。

中庭には2つのDhvajastambhas（旗竿付きの柱）がある。 これらのカイラス山を持ち上げようとしているラーヴァナの壮大な彫刻は、インド芸術における記念碑的存在である。この『石窟』を作るには、20万トンの岩を掘り出し、100年の歳月を必要としたという。 まさに人類の偉業というに相応しい。

第15窟・ダシャ・アヴァターラ窟（Dasa Avatara）も印象的なヒンドゥー石窟である。 広い中庭にはカイラーサナータと同じく露出した神殿がある。中には何も無いが、透かし彫りの窓があり、もちろんこれも岩盤から彫り出された地球の一部である。 中庭の周りにはマンションのような石窟がぐるりと囲み、ここには10柱のヴィシュヌ神の化身と雄牛の像、シヴァ神の像がある。

第21窟・ラメーシュワラ窟（Ramesvara）には、入り口に女神の川が掘り込まれている。

第29窟・デゥマル・レーナ（Dhumar Lena）も印象的な石窟である。 ヒンドゥー石窟としては最も西にある石窟である。 この窟は丘の尾根の部分に作られており、大きな入り口が2つある。 片方は川に面しておりテラス状になっている。 もう片方は岩盤の大きな割れ間に通じており、いくつかの彫像が配置されている。青空の下にある他の石窟の入り口と違って、非常に神秘的な雰囲気がある。

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第29窟

石窟の内部は広く、特に天井が高い。 おそらく一つの石窟の空間としては、エローラ石窟群の中で最も大きいと思われる。 この大きな空間に巨大なヒンドゥーの神々の立像が配置されている。 暗闇の中に立つ異形の神々の姿は見る人に強烈な印象を残すだろう。


■<strong>ジャイナ教石窟</strong>
ジャイナ教の石窟は他と比較してそれほど大きくはないが、繊細で複雑な構造を持ち、一種の芸術的作品となっている。

第32窟は、ジャイナ教の石窟でチョーター・カイラーサナータ（小カイラーサナータの意）と言われ、石窟の正面の中庭に第16窟と同様に外部に出現した神殿がある。 第16窟と大きく違うのは、石窟のほうも充実していることである。 第32窟の石窟の中はジャイナ教の神殿となっており、天井にはすばらしい蓮の彫刻が見られる。

<img alt="80px-Ellora_cave32_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/80px-Ellora_cave32_001.jpg" width="80" height="120" />　　　　　　　　　　<img alt="80px-Ellora_cave32_002.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/80px-Ellora_cave32_002.jpg" width="80" height="120" />
ジャイナ教石窟（第32窟）　　色鮮やかに残る天井画（第32窟）
天井には大きな蓮が彫られている

また、第34窟（第32窟・第33窟と繋がっている）には、美しい女神が豊かに実ったマンゴーの木の下でライオンの上に座り壮麗な姿態を見せている。 もちろん、神像はこれだけではなく数多くの神像が壁を埋めている。 ジャイナ教石窟には豊富な天井画が見られ、今でも多くの天井画が残っている。 ほかのジャイナ教の石窟も、繊細な彫刻と複雑な内部構造を持っており互いに内部で繋がっている。 そのため、訪れた人には境界がはっきり判らなくなっている。

<img alt="80px-Ellora_cave34_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/80px-Ellora_cave34_001.jpg" width="80" height="120" />
ライオンに座る女神像（第34窟）

ジャイナ教の石窟寺院は、中庭の神殿とそれを囲む充実した石窟寺院群から構成されるが、この構成は現代のジャイナ教の寺院の特徴となっている。 現代のジャイナ教寺院は中央部に神殿があり、それを中庭をはさんで外郭がぐるりと囲っている。 この外郭は仏教寺院の簡素な回廊と違って充実したもので、立派な塔や小神殿が付随した立派なものである。 エローラのジャイナ教の石窟寺院は、まさにジャイナ教寺院の原形とも言えるものである。

<img alt="120px-Jain_temple_001.jpg" src="http://www.tokutoku21.net/images/120px-Jain_temple_001.jpg" width="120" height="80" />
現代のジャイナ教寺院（外郭の外側から撮影）
中は聖域で撮影禁止（微細な構造がすばらしい）


■アクセス
エローラを観光するには、旅行会社の用意するパッケージツアーに参加するのが良いだろう。 アジャンター石窟寺院群がエローラの近くにあるので、アジャンターとエローラを組み合わせたツアーが多くの会社から販売されている。

ゆっくり見るには個人旅行がいいだろう。 アウランガーバードがアジャンター・エローラ観光の拠点になる。 アウランガーバードはムンバイーから内陸に入った町で、ムンバイーから多数の列車やバスが出ている。航空機もムンバイーからの便が一日4往復ほどある。 アウランガーバードからエローラへは、バスかタクシーで30〜40分ほどである。途中、有名なダウラターバード要塞のすぐ前を通る。

入場口付近には10軒程度の飲食店があり、飲料水などはそこで買うことができる。 敷地内には駐車場があり、オート・リクシャーが待機している。徒歩で周るのが心配な夏季などは利用するとよいだろう。

エローラ石窟寺院群は、おおむね作成された年代順に南から北へと並んでいる。 現在では、主な石窟間は舗装路が整備されており、さらに路上に石窟への行き先が番号で表示されているため迷う心配はほとんど無い。 全部で34窟あるが、隣接した石窟が奥のほうで接続されているなど、その内部構造は非常に複雑である。 また、壊れて入れないものもある。 全部を見るにはたっぷり1日かかる。ゆっくり見るなら2日は必要である。

第1窟から第16窟カイラーサナータ寺院までは、歩道が整備されており見学しやすい。 第17窟から第29窟までは、一部の崖に作られた山道のようなところがあるが、遠回りをしてそこを避けることもできるので問題は無い。 第30窟から第34窟は、他の石窟から1km弱ほど離れているため、オート・リクシャーで移動する観光客が多い。パッケージツアーでは省略されることも多いようである。しかし、ジャイナ教石窟寺院は、カイラーサナータ寺院に次ぐ見所なので是非見ておくべきであろう。

夏季だと気温が40度を越す。 入場口付近以外には飲食店は無い。 乾燥しているので暑さはそれほどでもないが、水は十分に用意すべきである。 石窟内部は夏期でも比較的涼しいが、移動中の強烈な日光を避けるために傘があると便利である。


■外部リンク
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/03_ellora/ellora.htm">エローラー石窟寺院</a>（日本語）
・<a href="http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/03_kailasa/kailasa.htm">エローラーのカイラーサ寺院</a>（日本語）


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   <title>アジャンター石窟群</title>
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   <published>2008-07-15T15:32:03Z</published>
   <updated>2008-07-21T12:52:14Z</updated>
   
   <summary>アジャンター石窟群の世界遺産</summary>
   <author>
      <name>大地</name>
      
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■<strong>アジャンター石窟群（アジャンター　せっくつぐん）</strong>
・登録区分　文化遺産
・登録年　　 1983年

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アジャンター石窟群
（ワゴーラー川沿いの断崖をくりぬいて並ぶ）

■概要
アジャンター石窟群とは、インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた、大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。

・発見の経緯
アジャンター石窟群は、1815年、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが、虎狩りをしていたときに巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。彼はアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになった石窟のうち第10窟に自分の名前を記している。

■地図

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      <![CDATA[■開窟年代と石窟の種類
仏教石窟であるこの石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院（ヴィハーラ）を石窟におきかえたヴィハーラ窟と、ブッダを象徴する「聖なるもの」（チャイティヤ）として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9・10・19・26・29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。

また開窟年代は、前期（第1期）と後期（第2期）に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟・第13窟・第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟・第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。

後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇待菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり、寄進者は聖なる存在としての仏陀に、永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。

後期の年代であるが第16窟・第17窟は、ヴァーカータカ朝のハリシュナ王（位462-481）の治世に寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。また、より新しい時期と思われる第26窟では、アシュマカの大臣をたたえる銘文が見られ、ヴァーカータカ朝の支配が揺らいだことを示唆していると思われる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴が、アジャンターで見られないことを考えると、アジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。


■後期窟の彫刻及び壁画
アジャンター石窟寺院の美術的価値は、やはり後期窟に集中しているといえる。第1・2・16・17窟は、入口の柱や天井に、ミトゥナ像・飛天・蓮華・鳥獣の画像が描かれたりレリーフとして刻まれたりしている。また、これらの代表的なヴィハーラ窟の壁面には、本生譚（ジャータカ）などの説話図が描かれた。これらは、悟りを開いたものとしてのブッダが送った模範的生涯を表現する絵解きによって、よりいっそうの信仰心をもつよう巡礼に来た人々を教育する目的ももっていた。

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アジャンター第1窟の内部

第1窟には、回廊左手にマハーシャーナカ本生譚が描かれている。これは、ブッダの前生（ぜんじょう）の姿であるマハーシャーナカ王子が、世俗の快楽を捨て去る決心をして、妃シヴァリーが踊り子たちとともに出家を思いとどまらせようとするが引き止めきれず、王子はゾウの背に乗って王宮を去り、残された妃は深く絶望し、奴隷たちに囲まれて快楽にうずもれてゆくという場面である。第1窟の天井には、想像上の動物や人間の姿が描かれている。猿の悪ふざけにうんざりした水牛が猿をころそうとするが、贈り物をさしだして水牛を説得する人間の姿などが描かれている。また有名な「蓮華を持つ菩薩像」が後廊の仏殿入り口付近に描かれている。

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アジャンター第1窟の「菩薩像」の壁画

第17窟には、裕福な商人の息子であるシンハラの物語が描かれている。シンハラは、父の忠告を聞かずに出航するが船が難破し遭難してしまう。ようやくスリランカの浜辺にたどりつくものの、鬼女たちに襲われ、天を飛ぶことのできる白馬に助けられ、帰国を果たすことができる。そして、シンハラは心を入れ替えて魔物たちを退治するという話である。これらの説話図の描写は、説話の舞台ごとに王宮、山中などにまとめられ、構図も楕円形に人物を配置する独特の遠近法で描かれている。前述したように寄進者はヴァーカータカ朝の君主であるが、美術的には典型的なグプタ様式と言える。

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アジャンター第17窟の壁画

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アジャンター第17窟の壁画


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