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■パッタダカルの寺院群
登録区分 文化遺産
登録年 1987年

パッタダガルのヴィルーパークシャ寺院
■概要
パッタダカル(Pattadakal)は、インドのカルナータカ州北部に立地する村。
・「戴冠の都」パッタダカル
チャールキヤ朝の首都はバーダーミ(旧名:ヴァーダーピ)にあったが、王族は「戴冠の都」としてパッタダカルを愛し、6世紀から8世紀にかけてはチャールキヤ朝第2の都市として繁栄した。

前期チャールキヤ朝の最大版図(7世紀)
奇跡的に破壊を免れたパッタダカルの遺跡群は「寺院都市」の典型を示し、また、南インド様式と北インド様式の寺院が混在することでも知られている。1987年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
■地図

カルナータカ州
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■パッタダカルの寺院群
6世紀から8世紀にかけてのヒンドゥー教建築は、ピラミッド形をした南部の様式と砲弾形をした北部の様式が混在し、現在、9寺院が残っている。すべて、宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀ったものである。遺跡では、寺院が北から南にかけてほぼ年代順に並んでいる。
ヴィクラマディーティヤ2世(在位:733年4月〜744年5月)は、南インドのタミル人王朝(パッラヴァ朝)の建築文化が高水準であることに感動し、建築家グンダを招聘し、南インドの王領各地から石工や彫刻家たちを多数招いてパッタダカルに多くのヒンドゥー教寺院を建設した。これらの寺院群は、パッラヴァ朝のカーンチプラムの寺院群の影響を強く受けた南部の様式によって建てられた。
なかでも、パッタダカルで最大規模をほこるヴィルーパークシャ寺院は、8世紀に、パッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマディーティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営され、グンダが設計を担当した寺院である。当時は、王妃の名よりローケーシュワラ寺院と呼称されたという。石でできた壮大な寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造のヴィマーナ(本堂)が戦勝を記念して寺院群の中にそびえる。寺院正面には、シヴァ神に仕える牡牛ナンディの像がある。

ヴィルーパークシャ寺院
ヴィマーナの手前に列柱廊に囲まれたマンダパ(拝堂)がある。
その三方に入口のポーチが設けられている。(画面左側)
他に、南インド様式を代表する寺院に、マリカールジュナ寺院やサンガメーシュワラ寺院がある。マリカールジュナ寺院は、ヴィルーパークシャ寺院をやや小規模にしたもので、やはり王の戦勝記念に第 2王妃が造営したといわれている。どちらも屋根は、水平層を階段状に積み重ねる形式になっている。これら南部様式の寺院は、のちにつくられたエローラのカイラーサナータ寺院にも影響を与えたことで知られる。

マリカールジュナ寺院(左)
カーシーヴィシュワナータ寺院(右)
北部の様式に属する寺院には、ガラガナータ寺院・カーシーヴィシュワナータ寺院・ジャンブリンガ寺院・カダシッデーシュワラ寺院があり、のちの北インド様式に特徴的なシカラに似た塔をともなう。これらは、上述の3寺院と隣接して建てられている。
これらと離れた場所に単独で建てられたのがバーバナータ寺院であり、北部の様式に属する。この寺院は、工匠たちによって、柱・天井・壁面いっぱいに「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などの題材が彫られていることで知られる。天井に彫刻を施したのは、前期チャールキヤ朝の建築が初例である。
他に南北両様式混在の寺院もあり、このことは、まだ両様式が完全には確立・分化しておらず、また、チャルキヤ朝歴代の王が、インド各地から工匠を集めていたことを意味しているとされる。755年、この地方を約2世紀にわたって支配してきたチャールキヤ朝も、自らの封臣であったラーシュトラクータ朝によって滅ぼされてしまった。それは、パッタダカルに続々とヒンドゥー教寺院が建設されたわずか10年後のことであった。
■アクセス
・ムンバイの南東約460キロメートルに立地する。
・ムンバイからショラープルへ行き、列車を乗り継ぐとバーダーミに到着する。バーダーミの東約30キロメートルに所在し、周辺には石灰石の岩山・渓谷・浸食による風変わりな岩壁の風景がある。
■外部リンク
・パッタダカルの寺院群(日本語)

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