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■デリーのフマーユーン廟
・登録区分 文化遺産
・登録年 1993年

フマーユーン廟(正面)
■概要
デリーのフマーユーン廟(英語:Humayun's Tomb)は、インド・デリーにあるムガル皇帝フマーユーンの廟。その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後(1562年)、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。そして、1993年、世界遺産(文化遺産)に登録された。
フマーユーン(1508年3月6日〜1556年2月22日)は、インドを支配したムガル帝国の第2代皇帝。初代皇帝バーブルの長男(在位:1530〜1540年・1555年〜1556年)。
■地図

ムガル帝国の版図の変遷
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■フマーユーン
フマーユーンは、1530年、父・バーブルの死により即位することとなったが、皇位をめぐって3人の弟、カームラーン、ヒンダール、アスカリーと争う羽目となった。そしてようやく内紛を鎮めた後、父が在位わずか4年で死去していたために、基盤が充分に固まっていなかった王朝の内政を無視して、1539年から無謀な外征を開始する。フマーユーンは、グジャラートやベンガル方面に進出して領土を拡大しようとしたが、父ほどの才能も無かったフマーユーンのもとでムガル帝国軍は統率が取れず、逆にスール朝の反撃にあって大敗を喫した。しかも1540年、スール朝が今度は逆に侵攻してくる。フマーユーンに対抗できるような力は無く、デリーやアグラを奪われて命からがらインドから逃亡する。そして、イランのサファヴィー朝の保護を受けた。

フマーユーン廟
その後、スール朝の衰退などもあってサファヴィー朝の援助を受けたフマーユーンは、1555年、デリーとアグラを奪還して帝国を再建した。その後は基盤固めに尽力したが、1556年に、図書館の階段を下りている最中に階段から転げ落ちて頭を打ち、それが原因で死去した(47歳没)。彼の死後、王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムは夫を弔うため、世界遺産として有名なフマーユーン廟を建てた。
ワインを愛しイラン文化に造詣が深い教養人であったためか、ムガル帝国は彼の治世のもとで文化的に発展を遂げたが、政治力や武勇は三流で帝国の政治的衰退を招いた。しかし、彼の後を継いだ息子・アクバル(大帝)の時代に、帝国は全盛期を迎えることとなる。
■外部リンク
・デリーのフマーユーン廟(日本語)

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