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■バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
・登録区分 文化遺産
・登録年 2003年

バーミヤーン地域

バーミヤン渓谷の石仏と石窟(破壊以前)
■概要
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群は、アフガニスタンの首都カブールの北西230kmの山岳地帯に位置するバーミヤン渓谷(バーミヤーン渓谷)に設定されたユネスコの世界遺産(文化遺産)である。
バーミヤン渓谷は、古代以来の都市であるバーミヤン(バーミヤーン)の町を中心とするヒンドゥークシュ山脈山中の渓谷地帯で、標高2500mほどの高地に位置する。古代から存続する都市バーミヤンの近郊には、1世紀からバクトリアによって石窟仏教寺院が開削され始めた。石窟の数は1000以上にものぼり、グレコ・バクトリア様式の流れを汲む仏教美術の優れた遺産である。

破壊以前のバーミヤンの大仏(全長55m)
5世紀から6世紀頃には、高さ55m(西大仏)と38m(東大仏)の2体の大仏をはじめとする多くの巨大な仏像が彫られ、石窟内にはグプタ朝のインド美術やサーサーン朝のペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれた。バーミヤンの仏教文化は繁栄をきわめ、630年に唐の仏僧玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたという。
その後、ムスリム(イスラム教徒)勢力がこの地にも及ぶようになり、イスラム教徒による厳しい迫害によって次第に仏教徒の共同体は消滅していった。11世紀初頭にこの地を征服したガズナ朝のマフムードによって、石窟寺院遺跡が略奪を受けたとも言われる。大仏も装飾が剥がれ、顔面部が崩落するなど長年にわたる放置のために大きな被害を受けたが破壊はまぬがれ、偶像崇拝を否定するイスラムの時代を通じても依然として多くの壁画が残されていた。
19世紀以降、アフガニスタンが国際社会に組み込まれ、西洋人や日本人が山岳地帯の奥深くまで探検に訪れるようになると、バーミヤン遺跡は大仏を始め多くの仏教美術が残されていたことから、俄然注目を集めることとなった。20世紀には、多くの学術調査が実施されてその価値は高く評価され、一躍アフガニスタンの誇る世界的な文化遺産とみなされるに至る。
しかし、1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻以来、アフガニスタンで続いてきたアフガン紛争によって大きな被害を受けた。2001年には当時のターリバーン政権の手により爆破され、遺跡は壊滅的な被害を蒙った。紛争終結後の調査により、一連の混乱と破壊により大仏のみならず、石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたと報告されている。
2002年以来、日本が181万ドルを拠出する仏龕の修復事業をはじめ、国際支援による修復が進められている。
■地図


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■ジャームのミナレットと考古遺跡群
・登録区分 文化遺産
・登録年 2002年

ミナレット
■概要
ジャームのミナレットはアフガニスタンのゴール州、ハリー・ルード川とその支流ジャーム川の合流点のほとりにあるミナレット(尖塔)である。ゴール朝(グール朝)のスルターン、ギヤースッディーン・ムハンマド(在位1163年〜1202年)が築いたとされる世界第2の高さを持つミナレットである。
このミナレットは八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などを特徴とする。また、このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われる。
後に、元ゴール朝の将軍でデリー・スルタン朝を開いたクトゥブッディーン・アイバクによって建設された世界最高の高さを持つミナレット、クトゥブ・ミーナール(インド)に影響を与えたと言われる。ちなみに、このミナレットの建設の目的は明らかではなく、「凱旋記念碑」、「昔あったモスクの残骸」など様々な説が唱えられている。
■地図


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